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自分のこと徒然その9―ピリカと過ごした2年間はかけがえのない人生の肥やしとなりました―

 初めてピリカの訪問を受けた日以来、約2年間にわたって、私たちの親密な、深い交流は続いた。彼女との「友情」(なんて言葉をこの歳になって使うのは面映ゆいが)を通して、私は多くのことを学び、多くのことに気づかされた。

 なかでも一番大きかったと感じるのは、「それまでの自分は、他者に対して本当に自分をさらけ出すということをできていなかった」ことに気づけたことだ。もし「友」というものが、「自分のありのままのすべてをさらけ出してもまるごと受け入れてくれる人」と定義されるなら、ピリカは私が人生で初めて得た、本当の「友」だったと言っていいと思う。
 
 私は若い頃から、比較的、社交的でリーダーシップがあり、誰とでも気楽に話してすぐ友達になれるタイプ、と見られていた。そして自分でも、自分は友達が多く、人に恵まれている、と思っていたし、人びとに対してかなりオープンな人間だとも思っていた。そしてそれはあながち間違いでもなかった。

 けれど、その一方で、私は、相手により、また状況によって、「見せる自分」を(たぶん巧妙に)変えていた。自分でも意識しないくらい自然に、弱さやずるさや汚さを隠していた。でも、「誰に対してもそれを全部隠す」というのではなかった。相手によって、その相手が受け入れてくれられそうな種類の弱さは見せて、「この人は正直で表裏がない」と安心してもらって信頼を得る、といったことを、安全な人間関係を構築するためにやっていたように思う。

 そんな私が、なぜかピリカとの関係が深まっていくなかで、(当時は「賭け」のような気持ちで)「これを言ったら引かれてしまうかもしれないけど」とか、「ここだけは誰にも知られたくなかったことだけど」とか思っていたような「本音」、「本心」を彼女に打ち明けるようになっていった。

 そして、そんな「清水の舞台から飛び降りる」くらいの覚悟で告白したことを、彼女はありのまま受け入れてくれた。「そうだったんだね」「それ、わかるよ。実は私も~~」といった感じで、驚きもせず引くこともせず、時には「かわいそうだったね」と目に涙を溜めて共感してくれたこともあった。そんなやりとりの中で、私の心は癒されていった。

 同様なことは逆の立場でも起こって行った。彼女も、恥意識や、人からどんなふうに評価されるかを気にして、恐れて口にできなかったことを私に打ち明けてくれるようになった。彼女にとっては勇気のいる告白だったことが、私にとっては、とても良く理解できたり共感できたりすることがすごく多かったのだ。なので、彼女のありのままの姿を受け入れることは、私にとって難しいことではなかった。

 親しくなってしばらくすると、私は彼らユニットのコンサートに同行して、裏方の仕事を手伝ったり、時にはコーラスで一緒にステージに立ったりするようになった。当初、「S(私のこと)と曲書きたいけど、お互いが本当に安心できる信頼関係を作らないと、一緒に音楽を作っていくのは難しいと思うから」と慎重だったピリカだが、1年ほど経つか経たないかのうちに、一緒に楽曲製作をするようにもなった。

 多くは「曲先」と言って、彼女に「降ってきた」メロディを ―時には電話越しに― 聴かせてもらい、そのメロディを私が口ずさむうちに、私の上に言葉が「舞い降りてくる」パターンだった。それから2人で膝を突き合せて、「ここはもう少し別な表現がいいかも」とか、「ここのメロディラインは歌詞のほうに合わせて」とか、あれこれいじり、推敲していく。この作業、このプロセスは本当に楽しくて、エキサイティングなものだった。

 しかし、このようにして私たちは、あらゆる面で、お互いがお互いを必要とし過ぎるようになっていった。残念なことだけれど、その関係は、過剰な依存関係に陥っていったのだった。


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 トップ画像は、三谷朗裕さんhttps://note.com/hogaraka3のすてきな風景写真をお借りしました。感謝します!


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