香里団地

自分のこと徒然その1ー大阪生まれ音楽家系育ちー

 もう少し、自分自身のことを書いてみることにします。

 生まれは大阪のベッドタウン。戦後、わりと早い時期に、丘陵地帯にニュータウンが造られた地域だ。父は現代音楽というよくわからないジャンルの作曲をする人で、音大で教えていた。母は声楽家。小学生の時から、将来は声楽家になる、と堅く心に決めていたらしい。私が物心ついたころは、狭い公団アパートの一室で、両親ともが時間を分けて、近所の子ども達にピアノを教えていた。

 そんな2人の間に、私は5人兄妹の2番目、兄のいる長女として生まれた。兄とは歳が近かったが、妹とは3歳以上離れていたこともあってか、小さい頃から私は、「面倒見のいい、しっかり者のお姉ちゃん」だったらしい。結果、母は私を頼りにすることになり、それは幼少期の私にとっては、ある意味、悲劇でもあったんだと大人になってから気づいた。

 だがしかし、いわゆる中流階級的な人々の住む、郊外のベッドタウンでの暮らしは、基本的に平和な日々だった。まだ地域に「ガキ大将」と呼ばれる子どもが存在した終わり頃だったのだろう、4歳くらいの私が、6歳の兄について行き、公団アパートの悪ガキ仲間の集団に混ぜてもらって、虫捕りや鬼ごっこに「おみそ」の立場で混ぜてもらっていたことを思い出す。当時はとても大きなお兄さんに思えていたガキ大将くんは、今思えばおそらく、小3か小4くらいだったのだろうな。

 ある日、みんなで1列に並んで野原を練り歩いていた時のことを思い出す。「ここを通る時は全員、この葉っぱを両手でパチンと叩かなあかんねんで!」と大将が決めると、みんな従順にその通りのことをして道を進んで行く。私にとっては、少し背が高くて届きにくい位置にある葉っぱだったので、困っていたら、別の二つ上くらいの女の子が抱きあげて助けてくれる。そんなたわいもないことが楽しい、のどかな子ども時代を過ごせたことを、今とても穏やかな気持ちで思い起こし、感謝している。

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