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映画と「黒ひげ危機一発ゲーム」

映画を見た後の感覚は、「危機一発ゲーム」の黒ひげが飛び出した感じに似ていると思う。
 
それはなぜか。
映画の中に引き込まれていきながら、
自分の中に突き刺さっていた、色んなものから解放される感じと
現実の世界から、ぴょーんと飛び出して新しい世界を見る様子が似ているからだ。
 
先日、久しぶりに今話題の映画「すずめの戸締まり」を娘と見に行った。
(ネタバレ注意の内容がありますので、ご了承ください)
 
映画を見る前まで、ポップコーンの購入の列に並びながら、
あ、あのお客様にメールを送らないと
そういえば、あの仕事まだ途中だったからタスクリストに忘れないように入れておこう
休日なのに、ぼーっとそんなことを考えていた。
 
ストーリーが始まると、私は主人公のすずめが置かれている状況や世界にだんだんと没入していく。自分の頭の中にあった、仕事のことが、徐々に頭から離れていった。
 
こんなことをぐるぐると考えていた。
九州、神戸、関東、東北……。過去に日本で実際に起こった地震の原因を表現しているのか。
すずめが会っていた人物は誰だったんだろうか。何を伝えたかったのだろうか。
猫や椅子は、何を意味しているのだろうか。
思考が、どんどん映画の世界に切り替わって、解放されていく。
 
そして、解放される感じは、音楽や映像からも。
すごくきれいな海や山などの景色を見て、その場所に行ったような気分になり、心が洗われる。
音楽がさらに、気分を高揚させてくれて、映画館にいるとは思えない、心地よい空間に自分がいるような感覚を覚える。
こんな風に、頭の中の状態と目や耳から入る情報が、日常の雑念という剣から、解放してくれたのだ。
 
映画を見たあとの感覚が好きだ。黒ひげが樽から飛び出して新しい世界が目の前に広がる感じ。
目に映るもの、聞こえてくる音のおかげで、自分の感覚が研ぎ澄まされる感じがする。
 
例えば、映画を見た後は、モノには生命があるのではないか。と妄想したりする。
こどもの頃、青空に浮かぶ雲が、うさぎに見えたり、恐竜に見えたりしたみたいに。
 
「すずめの戸締まり」を見た後、コーヒーを入れている時だ。
フィルターにお湯を注いでいると、何やら顔のようなものが現れた。
こっちを見ている。だんだんニコニコと笑っている。
そうこうしていると、目が垂れ下がって、違う顔になった。
また違う顔が出てこないかな。次はどんな顔かなと考えた。そうこうしているうちにコーヒーは静かになった。
 
さらに、夕ご飯に青椒肉絲を作っていた時。
牛肉を炒めていたら、牛肉が出てきた「すずめの戸締まり」のミミズに見えて来た。
あーこんなものをイメージしながら、ミミズという物体が作品の中にできたのかもしれない。
 
という具合に、普段何の気もなしに、過ごしていた景色が、なんだか意味のあるように見えてきた。
映画を見ていなければ、コーヒーや青椒肉絲からこんな妄想をすることはなかったかもしれない。大の大人がこどもの頃に戻ったようなこんな妄想をできるのも、映画のおかげだ。
 
そして、映画を見た後に一緒に見た人と話す会話も、自分とは違う視点が見られて面白い。
映画を見た日の夜、娘と映画で出てきてた色んなシーンについて話をした。
 
「常世。あの空間は、共通の時間なんだよ。だから二人は出会えたんだ」
「すずめの明日ってどんな意味かな?」「あなたの将来はこんな感じって伝えたいのかな?」
「椅子って、いつから三本足なんだろうね」
「あの焼け野原は、いつの時代のことなんだろう」
「草太は、鈴芽が好きだったのかな。会ったことあると感じたのはなんでなんだろう?いつあったんだろう?」
「あの後、草太と鈴芽はどうなったのかな」
 
そんな会話をしながら、一緒に見た相手から、自分にはなかった解釈を聞けるのも面白い。
今回は娘との会話で、成長を感じることができたというオプション付きだった。
 
黒ひげになれる時間は、リセットの時間と言える。
私は、ここ2年ほどコロナによる完全テレワークで仕事をしている。移動がなくて時間を効率的に使えるようになった反面、お客様や社員とのリアルの接点がなく、どんどん世界が狭まってしまっているなと感じていた。
仕事はぎゅーっと詰まっているが、毎日家にいるだけなので、あっという間に1週間が経ってしまって、私は何をしていたのだろうかと、空しい気持ちになることがある。
 
久しぶりに、映画を見て、そんな、私の生活に彩りと、メリハリを与えてくれた。
突き刺さった剣から解放され、ぴょーんと飛び出して、新しい世界を覗くことができた。
 
さて、次は何の映画を見ようか。

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