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私の一生。

私は、くうと言います。
柴犬です。
 
もうかれこれ、14年ほど生きていました。
犬の年齢は、人間の7倍と言うので、90歳を過ぎた辺りでしょうか。
 
私は今年10月に14年の生涯を終えました。
ここに、その14年を振り返って、私の想いを書き記したいと思います。
 
最重要ご主人は、としこさんです。
私が言うのもなんですが…74歳のおばあちゃん。
1番私の面倒を見てくださる方です。
 
そして、他にも家族がいます。
 
この家族との関わりとともに、私の人生(犬生)を振り返ってみたいと思います。
 
私が、この家にやってきたのは、14年前。
 
最初は「かわいい!」とっても可愛がってもらっていたのですが、孫の凌太郎くんが生まれた瞬間、一気に状況は変わりました。
 
凌太郎くんは、私の主役の座を奪った、にっくき奴なのですが、一緒に遊べて楽しかった記憶もあります。
2歳の彼が、サッカーボールで遊んでいた時、奴のボールを奪ってやったのです。
「くう、くう!」と2歳児に怒られながらも、一緒にじゃれ合うのが楽しかったことを覚えています。
 
私が、密かに癒されていたのはとしこさんとの時間です。
としこさんは、ガーデニングを趣味にしていて、毎朝庭で朝ご飯を食べます。
私はその時間を待っていて、玄関のドアを見つめていつも待っていました。
待っていると褒められて嬉しかったなぁ。
としこさんと、一緒のまったりした時間や空間を過ごすひと時が、大好きでした。
 
孫娘のしーちゃんとの時間は、幸せの絶頂でした。毎日学校から帰ってくると私と30分ほど遊んでくれたのです。
ボール遊びをしたり、思いっきり撫でてもらったり。
無理やり抱っこされるのは、ちょっぴり嫌でしたが…
 
それは、さておき。
 
どうしても苦手なことがありました。
それは、おかわりの時の手をあげることです。
座った状態で手をあげるのが、いつも辛くて、関節が変な風になっちゃいそうな感じが嫌でした。毎回キツかったなぁ。おばあちゃんになってきた頃は流石に諦めてくれましたが。
これをやらないとご飯が食べられないから、頑張ってやっていましたが、正直勘弁してよー。という思いでした。
 
私が後悔している失敗が一つあります。
これは天国に行ってから気づいたことなのですが、どうやら、犬は家の中で過ごしているところもあるようなのです。
 
私も家に入れてもらったことがありました。
家族のみんなが旅行に行くので、他のお家で預かってもらった時のことです。
外は寒いからと、家の中に入れてくれました。
私は、初めての体験に興奮してしまい、家の中を荒らしてしまったのです。
もし、その時、いい子にしていたら、家で過ごすことができたかもしれないと、今更ながら悔やんでいます。まさか、犬が家の中に上げてもらえるとは、その時は思ってもいませんでした。
 
そんな感じで14年間、大きな病気をすることなく、元気に過ごしていたのですが、今年の夏頃から体調を崩してしまいました。
暑さのせいでしょうか。食欲をなくし、無理してでも食べなかったのがいけなかったのかもしれません。
 
秋に向かうにつれ、だんだんと体調は悪化していき、ご飯が喉を通らなくなりました。
そうすると、歩くこともままならず、余計に悪循環。
薬を飲んで一瞬良くなったのですが、そこからとっても苦しかった。
 
立とうと思ってもフラフラしてひっくり返ってしまいます。
目も見えないし、耳もあまり聞こえない状態でした。誰かが、抱っこしてくれているなー。クンクン。これは誰かなー
抱っこしてくれる色んな人の匂いに幸せを感じることしかできませんでした。
 
年齢も年齢なので、そこからの回復は難しく、私はこの世を去ることになりました。
 
天国に来て他の犬たちと接していると、お金持ちでめちゃ溺愛されている犬もいます。が、私は平凡だったけど、幸せな人生だったんだなと思っています。
 
今、人生を終えて、みんなの様子を見ていると、私がいなくても、何ら変わらない日々を送っており、寂しくなる時もあります。
でも、私の小屋を残してくれて、そこを通る度に、「くうは居ないのだなー。寂しいなー」と思ってくれているのを感じるだけでも、嬉しいなと思うのです。
 
今は天国で、可愛がってもらった日々のことを思い出しながら、好物のジャーキーを食べて過ごしています。今までは交流がなかった、他の犬との交流もまた楽しいです。
 
14年間、私を可愛がってくれた、皆さんに感謝の気持ちを込めて。
 
ワン!(さようなら)
ワンワン!(ありがとう)

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