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25歳になった

月日が経つのは速く、20代の折り返し地点についに来てしまった。17の時、25歳を想像し「分別のつく大人ではないか」と思ったが、いざ自分がなってみるとそんなことはない。多少の変化はあるにせよ、17の自分と地続きだと思った。

せっかくなので20を振り返ってみる。2018年に20歳だったので、ちょうどバーチャルYouTuberのオタクをしていた。大学は文系で社会学が好きで、社会学とバーチャルYouTuberを混ぜた怪文書を先生に送りつけたりしていた。

これはキャラクターを変えても多数がそのキャラだと認識してしまったらそのキャラクターとして存在せざるを得なくなってしまうことを意味している。逆に他の人がそれを運用していたとしても、共通認識がそのキャラクターとして承認しているならばそのキャラクターとして存在することができる。また、キャラクターの姿が見えない状態で声のみそのキャラクターだとしても承認されていればキャラクターとして存在することが可能である。

21-22にかけて、VTuberの運営をしていて、何かを作るのは楽しいなぁという気持ちと、自分は天才ではなかったので、凡人なりに数字を追うのは辛いなぁという気持ちが混在していた。

途中から運営を降り、技術立ち上げの協力などで裏方に回っていた。中国の方が作ったトラッキングソフトが(当時では)ぶっちぎりが性能が良かったのに日本語の情報が0だったので、まとめてマニュアルとしてQiitaにあげたらトレンドに載った。

今振り返ってみると、散逸した情報、何故か存在しない情報をまとめて世の中に出すのが好きなのかもしれない。

ここから技術的なアウトプット(特にフロントエンド)が増えていくわけだが省略。このときと今の違いは「突拍子もないアイデアは生まれにくくなった」という部分。知識が全然ないなりのアウトプットは、多分ある。なるべく今も柔軟に考えようと努力はしてるけど、見える部分が(比較的)増えるに従って手癖でやる範囲が増えて前提を疑うことが減る、気がする。「A→B→Cやれば皆が悩んでるの全部解決するのでは??」という、アドレナリンが出続ける経験はまたやりたいので頑張る。

20代前半の感想は「ライフイベントが立て続けに起きるカオス」だった。「〇〇だから忙しくて、だから諦める」と言いやすい環境で、でも少なくとも自分が言ってた「忙しい」は意外と言い訳かもしれないと気がついた。卒論があるから、就活があるから、新卒で職場に慣れてないから、一人暮らしを始めたから。これらはたしかに忙しい理由ではあるけど、忙しいことは新しいことに挑戦できない理由ではなかった。気がついたときには24とかだった。

24歳は「挑戦を多くする」を掲げていたので、個人的にはそこそこうまくいった一年だったと思う。まさかAIの界隈で遊ぶ年になるとは思わなかったけど、それなりに挑戦はできた。25も新しいことは恐れずにやりたいと思う。

25歳の抱負。常に新しいことに取り組んで、時代の変化にきちんと対応できるようにすること。あとはお金を貯めること。

以上です。

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