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温度。
出口治明さんの著書「人生を面白くする、本物の教養」を読んでいます。
今、自分に必要で欲しかった新しいものや、持っていたものを再認識することが多く書かれてとても勉強になり面白いです。
【相手を人脈としか考えない人は、自分もそう見られている。】
という事が書かれていて、凄く感じる事がありました。
先日、友人と語り合ったことでもあるのですが、仕事であれ交友関係であれ、利害だけで人脈を考えている人はそのことを自覚しているのかどうか?
利害や損得だけで人と付き合っていると、大切な友人が怒ったり指摘してくれても、何故怒ってくれたか気付けなければその意図や本質を掴みきれないまま、変わらずに過ごしてしまう。
僕は言葉や行動には『温度』があると感じています。
自分が何かに心を動かされた時(喜怒哀楽すべてです。嬉しい時、幸せを感じた時や、怒ってしまった時や苦しい時など)には必ず理由や原因があると思って分析してみると、自分という人間が分かることが多くあります。
それは感動であったり反省であったりするけれど、そこには何かしら『温度』がある、またはない場合が往々にしてある。
人は鏡だと痛感することが多くあります。
相手が自分に牙を向ける時、自分も無意識でも相手に牙を向けていなかったか?
そう考えるとゼロとは言い切れない。
1ミリでもそういった感情があると、非言語で相手には必ず伝わっている気がするのです。
聖人になれとは言わなくても、相手のことを想像し思いやることができていればと思う事も多い。
相手に完璧を求めてしまっている時、自分にしか矢印が向いていない時は余裕がない。
そんな時、自分はどうなんだと思う。
自分も完璧ではないし、完璧でない自分を見守って信じてくれた人たちが自分を成長に導いてくれたことを知ると首が垂れる。
改めて、人に対する温度を決して忘れてはいけないなと、この一文から教えられました。
ありがたいです。
松岡眞吾
2023年5月8日
https://www.shingo-matsuoka.com/
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