【選手紹介】### 坂口智隆
【的確指導のグッチ】
2002年に近鉄へ入団し、最多安打のタイトルや複数回GG賞を獲得、自由契約でヤクルトへ入団すると1500安打を達成するなど、攻守で長年NPBの第一線で活躍した坂口は引退後、臨時コーチとして火の国の仲間入りを果たした。
コーチングはキャンプや練習日といった一部のみで、藤崎台での試合でその姿を拝むことは叶わなかったが、彼がもたらした影響は大きいといえよう。
春先不調に陥っていた中山選手には親身にアドバイスを送ったり、若い選手たちに的確な指導を行ったりなど、NPBの第一線で培った経験を火の国に惜しみなく与えてくれた。
指導のために複数回熊本に訪れている様子が見られ、その度にInstagramにて”#本日の #中山翔太” とツーショットを投稿するのはお決まりとなっていた。
目立った行動などはなかったものの、KAL3連覇&グラチャン連覇に大きく貢献した臨時コーチだった。
初めてのコーチング
こんにちは、サク来です。
今回の選手紹介は坂口臨時コーチについてご紹介いたします。
近鉄でキャリアをスタートした坂口コーチはオリックス時代に外野手のレギュラーを定着させると、08-11年まで4年連続GG賞を獲得しました。
さらに打撃も11年に最多安打に輝くなど、攻守で輝きを放ったプレイヤーでした。
その後は不振や怪我により試合数を減らし、2015年限りで自由契約となりましたが、新天地のヤクルトで復活。
16年には1000安打、20年には1500安打を記録し、見事再び立ち上がりました。
応援歌に使われたフレーズ、「不屈の魂」に相応しい活躍を魅せ、22シーズンに惜しまれつつ引退しました。
火の国の臨時コーチに就任したのは翌年1月24日。
当時クイズ方式でヒントが小出しに出されており、野球ファンがワクワクしていた中でのサプライズに驚きの声が多数寄せられました。
サク来のnoteでも予想を行い、見事に外してそんちょうさんからの信頼を失いました。
共にオリックスでプレーした馬原監督からのオファーを受け、サラマン戦士の手助けとなるよう語っていた坂口コーチ。
キャンプ初日の合志から合流し、バッピを務めたり、打撃指導では選手に寄り添って指南したりする様子が見られました。
またキャンプ期間だけでなく、シーズン中の練習にもコーチとしての役割を全うしました。
その効果は絶大で、開幕直後は不振だった中山選手の打撃を向上させたり、コーチングした後の試合で打線が爆発する試合が多かったりと、打撃面では大きな好影響をもたらしてくれました。
ヤクルト時代の同僚・中山選手は尻上がりに調子を上げ、グラチャン決勝戦にて勝ち越しタイムリーを放ち、日本一に貢献しました。
昨年シーズン限りで退任し、現在は野球解説者や洋服のブランドを展開するなどマルチに活躍している坂口臨時コーチ。
次は何を企んでいるのか、一挙手一投足に注目が集まります。
おまけ
バッティングピッチャーを務める坂口智隆臨時コーチ
来熊するたびに更新された中山翔太選手と坂口智隆臨時コーチのツーショット
女子ソフトボールリーグ:JDリーグ応援隊長としての顔を持つ坂口智隆臨時コーチ
詳細情報
成績(NPB在籍時)
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