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キンモクセイのにおい、買って食うもんやと思ってなかったもの

 キンモクセイのにおいする季節になってた。キンモクセイのにおいする。

 キンモクセイのにおいを嗅ぐと、なんか大学のときを思い出す。わたしの育った家のまわりにはあんまりキンモクセイなかった気がする。少なくとも「ああキンモクセイの香りや、秋やなあ」みたいな風流な生きかたはしてなかった。大学生になってなんかみんな「ああキンモクセイの香りや、秋やなあ」みたいなことを言い出して、そのときやっと「ほほうこれがキンモクセイですか」となった、たぶん。わたしの人生においては。

 キンモクセイ、まあ桜なんかもおなじようなもんなんやろけど、みんなが「これこそが秋らしいもんや」と思って植えることによって秋らしさパワーが増幅してる、っていう再生産的構造を感じておもしろい。

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 それと関係あるような無いようなやけど、ミカンやら柿やら、木の実・果実の類がさかんになる季節になってもいる。

 ミカンはそうでもないけど、柿は店で売ってるのを見るとちょっと「おー」となる。柿、ばあちゃんちでもらって食うイメージが強かった。あんまり買って食うもんというイメージがなかった。干し柿もばあちゃんちでもらって食ってた。
 でも、店で売ってる柿(含干し柿)、うまい。ちゃんとうまい、圧倒的にちゃんとしてる。あれはけっこう衝撃やった。柿はもらえるでなんとなく食ってるだけで、うまいとかそういうんではなかった。でも売ってるやつはほんとにうまかった。トロトロで。感動した。

 「それ買って食うもんなんか」でいちばん衝撃やったのはアケビ。いやそれ買ってまで食うようなもんなんか。食うっていうかしゃぶるだけやし。あれはあくまで「そのへんに生えてるからなんとなく食う」っていうのができるところに価値があるもんやと思ってた。タダで食えるにしてはうまい、みたいな。買ってまで食うか、食いたいんか、あれを。
 アケビはいまだに買って食ったことない。もしかしたらとんでもなくうまいんかもしれんけど。

 ビワもかなり「買って食うもんなんか」度が高い。うちは庭に生えてた。土地を譲ってくれた的なひとが引っ越し祝いで桜といっしょに植えてくれたやつらしい。よく登ってた、木に。ほどよくしなって、枝も低いとこから生えてるおかげで、木登りに丁度よかった。
 ビワはかなり好きやったけど、まめぞうが買ってくれたやつ食ったらあまりにフルーツすぎてびびった。甘い。
 わたしはビワはなんか「すっぱくて渋くてときどき甘い」みたいなイメージ。たぶんそのへんに生えてるビワの味。

 あと柚木とかも「ああそれ売ってるんや」やった、わりと。父ちゃんが生やしてた・育ててた。

 栗は(おそらく日本じゅうどこでもそうであろうように)そこらじゅうに生えてたけど、食わんかった。ドングリやら栗やらは中に虫がいるので生で食わんよう父ちゃんに言われてた。忠実。

 サクランボは父ちゃんに騙されてそこらに落ちてるやつを食ったことがあった。まずかった。

 グミの実はうちの前の小学校に生えてた(育ててた)。卒業してからもときどき食いに行ってた。比較的最近まで、敷地入り放題やった。今もまあ入ろうと思えば入れるけど、さすがになんかあったら困る年になってしまったので入らない。

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