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結束バンドの歩みとピークを見るものとしてのぼっちざろっく劇場総集編

 第5話「食べない魚」を枠にして結束バンドというものをふりかえりつつ、第8話「ぼっち・ざ・ろっく」のライブシーンを明確なピークとして据えたつくり。
 総集編っていろんなのあるけど、これはもとのバージョンをだいたい覚えてるようなひとが編集と演出の妙を味わうようなタイプ。新しい解釈とかは特にない、良くも悪くも。
 第8話のライブシーンは12話かけてやってたときは意外にあっさり終わってたけど、そこをうまいことピークに持ってきてた。いやほんとうまくて、あの見せかたはかなりぐっときた。泣いた。劇場総集編では第5話のオーディションと第8話のライブシーンとがかなり近くて、ふつうにやったらダレそうなところを、むちゃくちゃうまく落としてた。第8話ではぼっちのひとり語りがないことがあっさり感に繋がってるけど、劇場総集編ではそれがライブシーンのピーク感の演出に繋がってる。ぐっときた。わたし的には第8話が「なにが悪い」で終わってた流れに比べるとエンディングまでの繋ぎそのものは弱く感じたけど・・・これはわたしが「ぼ虹」派なだけかも。

 12話かけてやってたときは毎話毎話をキッチリまとめてきてた作りやったのが、劇場総集編ではダレないようにきちっと流れを作らなあかんっていう事情があって、そこにちゃんとアジャストしてきてるかんじ。うまかった。映画館にもよると思うけど音のきこえかたもよくて、音じたいで「なるほどそういうことやったんか」となるシーンもけっこうあった。
 ただ、よくもわるくもそれだけと言えばそれだけで、あくまで「ぼざろを忘れないで」みたいなもんのような気はした。とはいえこれはこれでよかったし、今回(前半)で第8話(三分の二)までやってしまったのもあって後半が楽しみってのもある。尺に余裕ありすぎやろ、後半。

 第8話「ぼっち・ざ・ろっく」までは「ぼ虹」、それからあとは「ぼ喜多」の流れやと思うんやけど、今回(前半)で第8話までやりつつ「ぼ虹」成分はかなり薄められてるような印象で、残り第9〜12話の4話を同じボリュームでやるならむっちゃ「ぼ喜多」になるような気がする。どうなるんやろ。

 あと、広井きくり。ピックアップされてるシーンと置き場(ピーク直前)の関係で、相対的に広井きくりがなんかむちゃくちゃ存在感でかい。笑ってしまう。山田リョウとかよりでかく感じた。

 OPもなんかすごいよかったような記憶があるけど、正直おぼえてない。公開してくれんかな。

 全12話を10周くらいしてれば誰でも気づくと思うんですが、物語としてのピークは第1話なんですよね。自分がぼっちちゃんとして何度もループしてるつもりになって見てみてください。起こるべき奇跡は第1話時点でほぼ起こってるんですよ。あとは余韻というか。
 劇場総集編ではそこはあえてあっさりで、結束バンドとしての歩みにフォーカスしてる。「成長って?」という問い(と、こたえのなさ)である第5話を枠として使ってるのもそこ。振り返ると、おのずとそこに歩みがみえてくる。だから今回の前半では初ライブがピークになってる。なんとなれば、結束バンドのここまでの歩みを考えたとき、到達点は間違いなくここになるので。
 ということはおそらく後半では学園祭がピークになるんでしょう。12話かけてやってたときはそこはあえて外してる感があったので、尺たっぷりでそこを見せてくれるのが楽しみ。なんかもっと「結束バンド」感強めでゴリゴリきそう。どうなるんでしょう。


 なかみとは関係ないんですが、映画館、カップルとか友達づれとかばっかで、おまえらやる気あるんかと思った。出直してこい。わたしはもちろんぼっちで行きました。

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