現象学的インターネット

 若い世代はググらんらしい。まずインスタ、ユーチューブとかで検索するらしい。ほー。
 いろんなアプリとかでてきて、自分の知っているインターネットがいつかなくなる可能性に思い至った。
 他方で自分の思う「インターネット」、検索(エンジン)を通してつながる仕組みそのものがそういった「数あるアプリ」のひとつであることにも思いが至った。
 けっきょくはインターネットが根ざしているのは情報(の蓄積)であって、知そのもの、宇宙開闢から続くこのありふれた歴史そのものでしかない。それがある種のUIによってみえやすくふれやすく近づきやすくなっているということ。それがインターネットの本質のような気がする。

 「ネットは広大だわ」とはまさしくそういうことを言ってるんやろと思う。
 裏返していえば、「広大すぎるなにかそのもの」に実感をもってふれるには何かを通す(通る)ことが必要で、そのひとつがネット、っていう、そういうことやと思う。それが攻殻機動隊にいう「相」とか「チャネラー/チャネリング」とかそういうもの。

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