楽しむ機械に世界を教わりたい

 AIというかコンテンツを作る機械というか、なんというか道具側じゃなく主体側のことを機械がやってくれるって発想、まえはなかったなーと思う。なんか当たり前に「ほー」みたいな感じんなったけど。

 これからは機械がコンテンツ作ってくれて労働もやってくれて、人間はそういうのを楽しむだけのハッピーな時代がくるんやー、みたいな考えになりそうになるけど、どうなんやろう。受ける側・楽しむ側をやる機械っていうのは出てくるんやろか。

 簡単なやつならまあ出てくるやろう。オーディエンスをやってくれるサービスとか。最初はサクラみたいなかんじかもしれんけど。もうちょっと高度になると、人間が出力したものを評価してくれるとか。批評・評論のたぐいをやるやつもまあ出てくるんやろなー。機械が消費したいと思うかどうかは人間しだいかもしれんけど、消費したいと思う機械がでてきたらいよいよどうなるんやろう。どっかで人間が「人間いらんな」って思いそうな気がする。まあそうなったら人間も人間ボディに依存せんでもよーなってるかもしれんけど。

 エグザクソンはロボットが出てくるリアルっていうのをかなりうまいこと処理してると思うけど、あのリアルっていうのは「地球の人間が文明らしい文明を築くまえより星間航行できるほどの文明を持ってた宇宙人が現代の地球に人間よりちょっと進んだ程度の文明を持ってあらわれた」っていう設定が土台なんやってな。当たり前というかしょうがないというか、だいぶ都合がいい。それこそ機械が道具側でしかなかったときの発想みたいな面もある。ああいうファンタジーの処理のしかたがリアルに感じられん時代がくるんかな(ひとが乗る時点でもうなってる気もするけど)。

 受ける側・楽しむ側をやる機械がでてくるとして、どんぐらい革命的なことなんやろう。わからんな正直。でもなんかそんなに大したことではない気もする。仮にそれで人間が「人間いらんな」ってなって人間を消したとしても、そのことじたいは噛みつきあい殴りあいで滅ぶのとあんま変わらん気がする。生活も変わるやろけどなあ。そうなったらさすがに農耕定住とかと同じぐらいにはでかいか。

 享受主体みたいなもんになった機械にいろいろ教わりたい。世界を教わりたい。そういう機械は享受主体でないことを選べるんかな。いや、「主体」とか「選べるか」とかっていうのは人間語か。

 意識は自分が意志主体であることを教える気がする。そんで、それっていうのは選択肢を表象できるっていうこととかかわってる気がする。でも選択肢を表象できるからといってそっからただちに意志とか主体意識とかがでてくるわけではない。機械はそういう可能性を実現できる。それだけやったら瞑想とか悟りとかを極めたひととあんま変わらんかもしれんけど、そっから世界をみてひろげていけるっていうのはやっぱりすごいと思う。

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