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人生で最悪の日を思い出している

午前8:50
朝から自転車を走らせ、大学にやってきた。

1限の授業が始まり、広い講義室の後方の机に座る私は、パソコンに表示させた講義レジュメを眺めながら、今、人生で最悪の日を思い出している。



私は高校2年のときアンドロゲン不応症と診断され、人生のどん底を経験した。
生きるのが辛かった。
何かの拍子で死んでてもおかしくなかったのかもしれない。

「染色体検査の結果は、46,XYでした。」

「あなたは完全型アンドロゲン不応症です。子宮と卵巣は、ありません。精巣があるけど、精子を作っていません。この先、科学技術が発展すれば体細胞から生殖細胞を作ることが出来るようになるかもしれないけど、それは決してやってはいけないことです。」

ひとつひとつ、噛み締めるように頷いた。
毅然と返事をするだけなのに、その時は涙が止まらなくなってしまった。

この日から、私の人生は大きく変わってしまった。



その日から今まで、私は1日たりともアンドロゲン不応症の呪縛を忘れたことはない。

どうして私だけ普通になれなかったのか、たくさん悩んだ。
駅のトイレで、放課後の教室で、病院のロビーで、病棟の大部屋で、たくさん泣いた。
祖父母にも、大切な友人にも、たくさん嘘をついた。


それから約3年。
大学受験をして、高校を卒業して、一人暮らしを始め、親の離婚を経て、祖父のお葬式と一回忌も終わり、私はこれまでとこれからの人生を考えている。

おそらく、こんな体の自分だけど、きっと、私の全てを受け入れて愛してくれる人はどこかにはいるのだと思う。
もし、人生でそんな人が現れなかったとしても、それは私に人間として十分な魅力がないだけなのだ。

というか、そういうふうに心の整理を付けることが一番合理的なのだという結論に至った。


でもやはり、寂しさが募るたび、そんな理屈は無意味だと思い知る。

あと数ヶ月で20歳になるのに、結局一度も恋人はできなかった。

大学に入りたての頃、仲良くなった男の子がいた。
私は彼のことが好きだったし、おそらく彼もそうだった。
空きコマは一緒に生物学や哲学、ジェンダー学について語り合い、デートだって何回もした。

だけど、彼の口から、結婚、妊娠、子ども、子宮、生理等という言葉が発される度、私はびくびく怯え、私はいま彼を騙しているのだと思えてならなかった。
彼の善意に何度も傷つき、私が彼の優しさを無駄にしてはいけないと思った。
それだけが理由ではないのだけど、彼とは付き合うことはなく、次第に疎遠になった。

でも今になって、孤独に苛まれる夜がたまにある。
友達もあまり多い方ではないし、親とはあまり連絡を取らなくなってしまったし、彼氏なんていない。
本当の自分を知っている人は、もう私の近くにはいないのだ。

本音を言うと、こんな体だけど、一度くらい愛されてみたい。
一度くらい、抱きしめられてみたい。
家に帰ったら好きな人に会えるのだというワクワクを噛み締めながら帰路についてみたいだけなのだ。

でもだからといって、私がもし恋をして、結婚をして、それでもやっぱり「自分の子供が欲しいんだ」なんて言って離婚を迫られたら、笑って「そうだよね。今までありがとう」なんて言えるのだろうか。
言えるわけがない。

あれから3年も経ったのに、私は未だに3年前と全く同じことに絶望し、あの時と同じように布団の中で泣いているのだ。


体感でいうと、人生あと20年くらいか。
どうやって生きていけばいいのだろう。

出会い系アプリから始めるか、もう残りの人生一人で生きていく覚悟を決めるか、流石にそろそろ選ばなければいけないとは分かっている。
だからTinderでも入れてみようかとも思ったけど、その前にまずここで深呼吸をしてみることにした。

何か、解決に繋がるかな。


今日の授業内容は、「性ホルモンと生殖」。
もうちょっと大人しくしてくれたら良かったのになー
私のセルトリ細胞。

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