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義経は卑怯者?つづき または、勝つことの意味(雑兵の目で見る源平合戦その2・後半)

前半はこちら。

その4 敵の後ろを襲うのは卑怯なのか

特番「決戦!源平の戦い」。
あまりに平家愛がすごすぎて偏りまくってしまったNHK大阪局のアツさ
に感動した場面がもう一つあるので、それも書いておく。
壇ノ浦じゃなくて一ノ谷の話なのだが。

再現ドラマで、息を切らせて走って来た武士が知盛に告げる。(番組開始から1時間13分あたり)
「背後から源氏勢が!」
「何?!」と知盛。「背後から不意打ちとは。あり得ぬ。あり得ぬわ」
「九郎義経のしわざかと!」
「おのれ九郎、卑怯なり。これが東国の戦か。もののふの作法か!!」

すみません。ここで私、一時停止ボタン押しました。笑いが止まらなくて。
敵の背後を突くの、卑怯なんですか?
ルール違反ですか?

だったら、平野に陣を敷いたらどうですか。
わざわざ山を背にして布陣しているのは、背後から来る敵に備えているからですよね。
はじめから予測してますよね?

理屈になってない。

誰、この再現ドラマのシナリオ書いたの。
『平家物語』、読んでないよね。
『平家物語』で平家軍が驚くのは、「まさかこの山降りてこないだろう普通」という山を源氏軍が降りてきちゃったからだ。その乱暴さ(笑)に驚くだけだ。
卑怯だなんて平家の誰ひとり叫んでいない。
お願いだからちゃんと読んでよ、原文を。

たしかに当時、合戦の日時を決め、「矢合わせ」をして始めるなどのルールはあった。
だけどそれは、すべての合戦がそうだったことを意味しはしない。
不意討ちなんて一世代前の保元の乱のときからぜんぜん行われている。

『平家物語』を読みもしないで、
意味不明なストーリーをでっちあげ、全国放送で流さないでください。
私があきれるのはそこだ。義経卑怯者コールそれ自体より。
私は源氏ファン平家ファンという以前に、『平家物語』のファンなのだ。

これもすべて、『鎌倉殿の13人』が平家をまるっと無視するというあり得ない暴虐をはたらいたせいだ。NHK大阪局の人々が怒り心頭に発し、大河タイアップ番組と見せかけたアンチキャンペーンをしかけても無理はない。気もちはよくわかる。
だけどそれだったらなおのこと、もっと正確に、論理的に、誠実にやってほしかった。

「これがもののふの作法か!」は何度思い出してもイタい。

その5 義経は「勝てばいいという結果主義」だったのか(または、負けることの意味)

あと一つだけ。どうしても見過ごせないので。

特番「決戦!源平の戦い」の再現ドラマで、義経はこんなセリフを言わされている。
「たとえいかなる手を使おうとも、戦は勝たねば意味の無き事」
(開始から58分頃。ご丁寧にオーラスにもリピート、知盛の「もののふの作法か!」とペアで。)

プロの日本史研究者の先生方まで、こんな発言をなさってしまっている。
「ルール・作法を大切にする平家と、そうではない源氏」(関幸彦教授、1時間17分頃)
「たしかに(義経が)ずるいというところは、強調されているところかもしれませんけれども、やっぱり勝てばいいんだと、多少ずるをしても勝てばいいんだと、それ自体をいちばん大切なこととして考えている、ということだと思うんです」(菱沼一憲教授、1時間18分~19分頃)

菱沼一憲先生。私、先生の大ファンなんです。
先生のご著書を何冊も読んで、心の底から尊敬しているんです。
(『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』も、『源頼朝 鎌倉幕府草創への道』も!)
だから、このご発言は、本当にショックでした。
耳を疑いました。

こういうとき私は、人の言っていることだけでなく、その人の表情を見る。演劇人だからね。
オンデマンドでクリックして、くりかえし見てみる。そして気がつく。
このシーンの菱沼一憲先生の顔色が、白い。
笑顔ではあるけれども何度もどもり、つばを飲みこみながら話しておられる。
それまでの穏やかなお話しぶりと比べると異様だ。
より正確に再現してみるとこうなる。

「たしかに、ずるいというところは、あの、強調されているところかもしれませんけれども、やっぱり、勝て……勝てばいいんだと、だから、その、ずるを、多少ずるをしても? えー勝てば、いいんだ、と。それ、自体を、(つばを飲む)いちばん大切なこととして考えている、ということだと思うんです(つばを飲む)

菱沼一憲先生!
お願いですから、これはNHKの台本に無理やり言わされたんだと、ご本心からではないんだと、どうか仰ってください!
先生のご発言としては、あまりに頭が悪すぎます。
痛ましい。

これくらい「菱沼一憲」「菱沼一憲」連呼しておくと、グーグルサーチでピックアップされやすくなるんじゃないかしらと思うから連呼している。
菱沼一憲先生、どうかこのページ読んでください。お待ちしています、菱沼一憲先生。菱沼一憲先生のファンより。

その菱沼一憲先生に続いて、タレントの村井美樹さんが、美しい笑顔でこうのたまった。
「その、ちょっと、ずるさっていうのを、平家ももうちょっと持っててもよかったかなっていう。まじめすぎますね。ちゃんとルールを守らなきゃって言って(滅びちゃうなんて)」(一同笑)(1時間19分頃)

は?

は?????

ご自分が何言ってるか、わかってますか。
それ、平家に、ものすごく失礼だろう。
源氏じゃなくて平家に。

ここまで来ると私も、キレそうになるのをこらえるのが大変だった。
平家はルールを守ることを勝つことより優先したから、負けたと言うのか。
大丈夫か。
草野球の親善試合じゃないのだ。
戦だろう。
戦に負けるってどういうことか、わかって言ってる?

勝つことに意味があるとかないとか言ってる場合じゃない。
負けることの意味、わかってる?

一度、居合の一日体験教室に行くといいと思う。
真剣をさわらせてもらい、模擬刀を振らせてもらい、
目の前で段保持者に、
巻き藁を一刀両断して見せてもらうといい。
いま、切れて落ちたのが、あなたの首だ。

その首、「都大路[みやこおおじ]を渡される」んですよ。
つまり首都のメインストリートでさらしものになり、万民の嘲笑を浴びるんです。
あなたの首だけじゃない。あなたに命をあずけている部下たち全員の首もだ。
それが、負けるということだ。

負けられないに決まっているではないか。
勝つ一択しかないに決まっているではないか。

勝つこと自体に意味はない。
あるのはただ、負けることの意味だ。
源氏はもちろん、それを知っていた。骨身にしみて知っていた。
頼朝と義経の父、義朝の首は、都大路を渡されている。
その屈辱。
すべて失う、ということ。この世から抹殺される、ということ。
源氏だけじゃない。平家だってわかっていた。もちろんわかっていた。
だから都落ちしてまで死にものぐるいで徹底抗戦を続けたのだ。

わかってないのは、私たちだけだ。

前回の結論と同じだ。どうしてみんな、合戦当日の作戦や戦いぶりのことばかり言うんだろう。
そして精神論に持ちこむんだろう。

違う。戦なんて、数か月前、数年前からもう始まってる。
十年前、
二十年前、
二世代も三世代も前からつながってきて、今日の自分がある。

源平合戦――治承・寿永の内乱という歴史的大事件を、
ただの草野球レベルに矮小化しないでください。
まずは想像してみてください。
あなたの首が切り落とされ、
その生首が、都大路を渡されるところを。

勝つことの意味? そんなものはない。
『平家物語』はそんなくだらないものを語っていない。
盛者必衰、と冒頭で言っているではないか。


語られるのは、くりかえし語られるのは、
負けることの意味だ。

その声に耳を傾けもしないで、義経が卑怯だ何だと騒ぐのは、
話をすべて薄っぺらくし、
かえって平家一門をおとしめることになるから、

やめたほうがいいと思う。



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