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あなたのことを、つれづれに No.8

No. 8 BÖ

 もしもあなたの隣にBÖがいたら。コンビニのレジで、信号待ちで、コインパーキングで、BÖを目にしたあなたは芸能人だろうか、と思うかもしれない。「イケメン」という言葉に触れたとき、私はいつも最初にBÖのことが頭に浮かぶ。山手線のホームにいても、夜の四条河原町にいても、BÖはいつでも人目を惹いた。

 縁あってBÖと出会ったのは、十数年前のことだ。仕事の研修でおよそ一ヶ月間、東京で暮らしたことがある。そこで共同生活を送った仲間のひとりがBÖだった。当時、BÖはまだ十代だった。白い肌に染めたばかりの黒い髪、低い声にあちこち開いたピアスの穴。磨き抜かれたナイフのような鋭いまなざしが印象的だった。
 一日二十四時間がまるごと研修のような日々のなかで、初めて話らしい話をBÖとしたのは、非常階段の喫煙所でのことだった。煙をくゆらせながら、なんとはなしに家族の話になった。私が幼い頃に病気になった母親のことを話すと、BÖもがんで闘病中の母親の話を口にした。「生きてるだけで丸儲け」というのが、あの頃のBÖの口癖だった。十代の人間にしては達観したような言葉も、母親の闘病を支えてきたBÖが口にすれば、錨のように深く沈んだ。
 運転は趣味と言いきるBÖは、平気な顔で十数時間ハンドルを握り続ける。京都、大阪、奈良、三重、福岡、大分。ドライブの記憶は、隣で交わした言葉とともに、トンネルを流れていく橙色の光の筋や、夜の高速道路にぽつぽつと浮かぶ光の粒のまぶしさを覚えている。

 BÖはドライブだけではなく、家族をたどる旅にも出た。「特別養子縁組」という言葉を聞いたことはあるだろうか。戸籍に養子であると記載されないため、実子と同様に扱われる制度のことだ。BÖの両親は亡くなるまで、養子であると告げなかった。しかし知りたいと思えば事実にたどり着けるように、手がかりを残してくれていた。
 研いだナイフのような目をしたBÖは、口を開けば、軽快な関西弁がぽんぽんと飛び出した。研修中は、いつも誰かの側にいた。リーダーみたいに場の中心になるだけではなくて、おどけたムードメーカー役を担ったり、共同生活に慣れない仲間に耳を傾けたりする姿もよく見かけた。きれいだけど怖そうなひと、という最初の印象は、寝食をともにするなかで180度転換した。鋼が熱い炎のなかで鍛錬されるように、BÖの心には温かな心が燃えているのだ、と気づく。その炎は両親が注いだ愛情だった。

 「事実は小説よりも奇なり」という言葉どおり、BÖのこれまでの人生はドラマよりも映画よりも波乱万丈に見えた。そしてその嵐を乗りこえた今、BÖは古典芸能への道を歩んでいる。舞台の上でも、街なかにいても、BÖはこれからも注目を集めるだろう。もしもこの先、あなたの隣にBÖがいたら、気軽に声をかけてみてほしい。きっと陽気な関西弁で温かな笑みを返してくれるはずだから。

(2021.11.1 左京ゆり)


古典芸能の修行中

※この記事は自分のWebサイトからnoteに転載したものです。記載内容は2021年時点のものとなります。

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