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あなたのことを、つれづれに No.7

No.7 わっきん

 これまでの人生で、一番遠い土地と二番目に遠い土地を訪れたとき、どちらも隣にわっきんがいた。

 南半球の島国・ニュージーランドを訪れたのは、高校生のときだ。学校のホームステイプログラムには友人のわっきんも参加して、初めての海外旅行だった私は心強く感じていた。私の滞在先(読書好きで廊下にまで本が溢れた夫婦)とわっきんの滞在先(ひとり暮らしの老婦人)はさほど離れておらず、わっきんを訪ねると、老婦人はにこにこと私のぶんも昼食のサンドウィッチを拵えてくれた。
 二人で観光に出かけると、バスの時間ギリギリまで土産物屋で粘る私を、「ほら、遅れるよ~!」と待ち合わせ場所に連れていってくれるのは、いつもわっきんの役目だった。そんな彼女の仕事は学校の先生で、その引率力は当時から発揮されていたのだ。

 帰国後の数年間は、口癖のように「バルさんに会いたいね」(そう、老婦人に敬称をつけると日本の某有名製品と同じ響きになり、彼女の名前は数十年を経た今も忘れ難い)と二人で話していた。時が過ぎるにつれて、その名前を口にすることはなくなったが、心のうちで、老婦人が百寿を迎えていつか再び会える未来があるかもしれない、と祈りにも似た期待を抱いている。
 二番目に遠い土地は、鹿児島の最南端、与論島だ。小型の飛行機を降りると、夏の匂いが立ちこめる空気のなかでハイビスカスが咲き水底が透けるような海が広がり、まるで南の国を訪れたような気分になる。畑でかじったサトウキビの甘い汁、砂浜に置かれたバナナボート、夜の船で見た波間にゆれるホタルイカの群れ、スコールに打たれる木の葉の緑。初めて目にする光景に、わっきんと一緒に歓声を上げた(これらの景色のいくつかは、ものぐさな私を引っぱり、わっきんがホテルの観光ツアーに申しこんでくれたおかげで見られたものだ)。


 北海道から沖縄まで、休日に時間ができると、わっきんは電車にゆられて旅をする。詳しい予定を立てず気の向くままの行程は、旅先で知らないひとと出会う醍醐味があるからだという。電車の座席の隣に座り、「旅行中なんです」と人懐こい笑みを浮かべる女性がいたら、それはあなたの町を旅するわっきんかもしれない。
 大学時代、わっきんは大分の温泉街に住んでいた。最寄り駅に着くと、地面のあちこちから白い湯気が湧き上がり、わっきんは改札口で手を振って出迎えてくれた。硫黄の匂いがただよう町を歩きながら、うんうん、と頷いていろんな話を聞いてくれた。大分でも与論島でもニュージーランドでも、彼女は笑顔で耳を傾けてくれた。いつの日か歳を重ねたとき、バルさんのように笑う彼女の姿を想像してみる。サンドウィッチは私が持っていくから、また話を聞いてほしいし、今度はわっきんの話も聞かせてほしい。

(2021.9.1 左京ゆり)

わっきん
日本在住。休日に全国各地を旅してまわっている。

※この記事は自分のWebサイトからnoteに転載したものです。記載内容は2021年時点のものとなります。

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