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岡宮来夢には人外がよく似合う

比叡山延暦寺ライブ2020。
なんという、パワフルな字面でしょう。
意味わからん、というツイートもありましたが、たしかに、新人若手俳優のイベントとしては異色です。

さて、私の推しはあくまで「鶴丸国永」であって、鶴丸ではない岡宮くんにはあまり関心がなかったので、6月の単独イベントには食指が動きませんでした。
でも、今回は「朗読」があると聞いて、期待が高まりました。
開催を知らせるビジュアルが和装だったのも、ポイントが高かったのです。岡宮くん、着物と袴が実によく似合っていて、雰囲気がありましたし。

夜の部を買ったのは、お寺ならそのほうがムードが高まるだろうと思ったからです。
じっさい、1部と2部の間のお着替えタイムに映し出された、刻々に暮れゆく延暦寺は実に美しかったです。

今回特筆すべきは、朗読がただの「朗読」ではなかったことです。
私が予想したのは、こじゃれた服か予告ビジュアルにある袴姿で、世界遺産の景観を背景に、ただ本を読み上げる姿でした。
なので、しょっぱなから驚かされました。登場した岡宮くんは、特異な「扮装」をしていたからです。
(誰かが「モノノ怪」の薬売りを連想するとコメントしていましたが、言いえて妙。隈取のような化粧と民族衣装的な和装、「薬売り」は青系ですが、こちらは赤系)
そして自ら「猿(えん)」と名乗り、わたしたち視聴者を異界に迷い込んできた客として扱ったのです。
この時点で、朗読劇は単なる朗読ではなく、一人芝居の舞台となりました。
苛烈な魔王・信長、ひょうきんな人たらし・秀吉、どこか醒めた反逆者・光秀。それぞれを、岡宮くんは声色や表情を変えて、演じ分けていました。
猿自身は、ト書きにあたる説明部分を読むときにのみ、現れます。
よく知られた歴史上の人物とは違い、初出の架空キャラである猿を実在させるために、あのメイクと衣装を考案したのでしょう。
葵咲二部衣装の片耳飾りと同じくらい、卓抜なアイデアだったと思います。

しかしながら、岡宮くんには、ひとつ弱点があります。彼はどうやら、あがり症というか、極度の緊張しいらしい。
今回、地の文の朗読で、何度か噛んでいました。信長や寺衆を演じているときは、完璧だったのに。
思うに、せりふはオン(舞台上)であり、ト書きはオフなのでしょう。
おそらく彼は「憑依型」の役者なのです。舞台の上で、役になりきることができる。そこに計算はなく、本能で演じている。だからひとたび板を降りると、簡単に素が出てしまうのです。
昨年末のMステで、タモリさんとの掛け合いが棒読みになってしまったのも、そういうことかと納得です。
もし、タモリさんと舞台の上で共演したのだとしたら、岡宮くんは、きっちり役に入り込めたと思います。

そして、つくづく、岡宮くんには人外が似合います。
「猿」は、おそらく日吉神社の神猿を念頭に置いての造形でしょう。神の使い、または神そのものの化身というところでしょうか。
鶴丸は刀の付喪神、これまた、人ならぬ者ですからね。

ところで、岡宮くんはファンサイトで「サナギ」というドラマを配信していました。 
私は予告しか見ていません。「等身大の現代青年」にまったく興味がないからです。
また、22歳の学生俳優が平凡な大学生を演じて何が面白い、自分ではないものになることが、演技の面白さだと思っているので。
もちろん、サナギの主人公・山田と岡宮くんは完全に=ではない。でも、とても近いのは間違いありません。
それより、岡宮くんが今しか演じられないのは、むしろ鶴丸や猿のような役だと思うのです。

なぜ彼に人外が似合うかというと、それは彼が人として未熟だからです。
謡曲には、少年か老人しか舞ってはいけない曲があるそうです。鷺の精、だったか。
化生を演じられるのは、幼さゆえの無垢か、または高齢ゆえの枯淡、ということかもしれません。成人しているとはいうものの、素顔の彼は実年齢よりも幼く見えるし、心ばえにも濁りが感じられません。そんな彼だからこそ、歌合でもひときわ神々しく見えたのだと思います。

鶴さんに頼ってばかりいられない、という焦りはわかるけれど、今は自分を最大限魅力的にみせる仕事を選んでほしいものです。

猿の演技が魅力的だっただけに、後半の歌唱には、少し不満が残りました。
耳あたりのいい、ポップな現代曲は、親しみやすいだけに平凡なものでした。音響や彼自身の喉の調子が悪いのか(一人で朗読を続けて、さすがに負担がかかっていたでしょう)持ち前の響きのいい低音がじゅうぶんに伸びないのも、残念でした。
 
新境地を開いたと思うのは、二曲目のダンスナンバー「dont tell me lies」です。
 
私はつねづね、岡宮くんには色気がないと思っていました。(だがそこがいいw)
対して、葵咲本紀のメンバーは、お色気集団です。
成熟した男の色気(蜻蛉・明石)、熟女の色気(村正)、好青年の色気(御手杵)、少年の色気(篭手切)。
その中で、何の色気もないのが、岡宮くんの鶴丸でした。戦装束も二部衣装も白を基調としたもので、それは鶴丸のさがを表すと同時に、まだ何の色にも染まっていない岡宮くんを象徴するかのようで。
しかし、「dont tell me lies」には、男の色気がむんむんしていて、腰が抜けるかと思いました。
村正や明石に比べると、生硬さの残る若い色気だけれども、これまでの岡宮くんとは一線を画していたと思います。
そして私は、妙な切迫感をおぼえました。ぼやぼやしてはいられない、岡宮くんが成熟するのは、これは案外はやいぞ、と。
ますます、人外をバンバン演じていただきたく思います。
 
「朔を見る」は、葵咲2部のソロ「キミと見上げたあの日の空に」を思わせるしっとりしたバラードで、岡宮くんらしい魅力に溢れていました。
「キミと~」に比べると、あまり前向きではなく、そこはかとない厭世と諦念がにじんで、大人っぽい印象でした。猿を歌ったものではないか、という視聴者の感想も、的外れではないと思います。同じ人外でも、鶴丸と猿のキャラの差が二つの曲調の違いとなって表れたようで、面白く感じました。
岡宮くんは「パライソ」を経て、人外の悲哀を演じられるようになったのではないかとも思いました。
葵咲本紀では絶対の強者で、つねに余裕しゃくしゃく、すべてを笑い飛ばせるような鶴丸でしたが、パライソでは苦悩し、叫ぶ場面もあったと聞いています。
見られなかったのがつくづく残念です。おのれ、コロナ。

それにしても、朗読劇のために作られた「猿」というキャラ、このまま捨ててしまうのは惜しいですね。
別の世界遺産でライブをやる機会があったら、猿を遠隔移動させてきてもいいのではないでしょうか。人外なんでもあり、ということで。
わずか30分ほどの朗読の中にしか存在しなかったというのに、猿は、がっちりとファンの心をとらえている。私もとらえられています。
昔とった杵柄で、猿を主人公にした小説を書いてみたくなりました。

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