アウェイとホーム

個人で制作する本、ZINE。ZINEを取り扱っている個人書店を知ってから度々東京に行くようになった。もともとの私は出不精で、休みの日は近所をぶらぶら散歩するくらい。遠出するとしても自然あふれる広い公園か海、神社かお寺にしか行かない。読書も喫茶店ではなく家でする。
過去の私は変わりものの父と暮らしていたため家にいることが苦痛だったが、今は菩薩のように優しい母と私の一番の理解者である夫と飼い犬の三人+一匹暮らしである。
この暮らしになってから、家=落ち着く場所だということに初めて気づいた。
母も夫も多忙なため、4人揃う日はあまりないが、犬はいつも家にいる。誰かが家にいると落ち着く。犬も私がいると嬉しそうに尻尾を振る。撫でて!と突進をしてくる。
可愛くて、出かけるのが億劫になる。
どうせ、家でも小説は書けるし読書もできる。

そんな私は石川県に住んでいるのだが、いまだにバスの乗り方をよくわかっていない。ICカードも最近ようやく作った。初めて使った時の「ぴっ」の音にどれほど安堵しただろう。
都会の人は驚くだろうが、地方は徒歩10分のコンビニでも車移動が当たり前なのだ。
そんな私がひとりで東京に行くことは、言語のわからない国に置いてけぼりにされるほどの恐怖心があった。
それでも、東京の個人書店は魅力的だった。それだけじゃない。喫茶店もご飯屋さんも価格帯が地元より高いがいろんなお店があって面白いし、電車もすぐにくる。地元では30分に一本だ。東京で一本くらい逃してもなんとも思わない。(待ち合わせをしていれば別)

気づいてしまったのだ。
私は東京に行くといつもの元気を失う。顔が引き攣る。初対面の人と会うことが多いからだろうか?と思っていたが、二度、三度お会いしてもどうも自分が誰かに乗っ取られているような感覚になってぎくしゃくしてしまうのだ。
もともと会食恐怖の毛があって、初対面の人の前でご飯を食べるのが苦手なのだが、心を許した人や、職場の人など慣れた人の前では食べられるし、一人で外食へ行くことも可能だ。
しかし東京に行くとどれもできなくなる。
九月に初めて一人で東京に行った時は、行きの新幹線では食べられたのに、東京にいる時はもちろん、帰りの電車でもおにぎり一口すら食べられなかった。のどをなにかで堰き止められた感覚。おにぎりが砂で固められた塊にしか感じない。
金沢駅に着いた瞬間、ホームのベンチに座って、ぺちゃんこになった明太子おにぎりを食べた。次はちゃんと味がした。しょっぱい。やっと帰ってきた。帰ってこれた。安心感がどっと湧いて、私はホームでしくしくと泣いてしまった。
そういえば、私は昨年、金沢で初めて会った人と、おでんを食べた。たくさんは食べられなかったが、食べられた。心を許した相手だったからもあるが、それは「金沢」というホームにいたからではないだろうか。
この時は、多少の緊張はあったが、自分のペースで明るく接することができた記憶がある。

つまりは東京というアウェイな場所では自分の本領を発揮できないのだ。
しかし、私はこれからも東京へ行き、イベントに参加するなど、いろんなことに挑戦したいと思っている。
東京文学フリマの参加や、書店のイベント。自分の本が日記屋月日さんの日記祭で委託販売させてもらえることになった。もっと自分の本を広めたいし、新しい本に出会いたい。
東京に行かずともオンラインで参加できるものもあるし通販で買えばいい。X(Twitter)やメールzoomで打ち合わせをすることだってできる。
しかし、私はアナログな人間だからか直接本を見たいし人と接したいと思う。ネットの人やモノと実際に会った人やモノは全く違うとは言わないが、実物のほうが輪郭がはっきりしているように見える。
だから、野心と欲望を満たすためには、アウェイに飛び込むしかないのだ。

こういうものは慣れだと思い、最近は積極的に出かけるようにしている。普段は使わない電車やバスに乗って意識的に金沢のいろんなところを一人でうろうろしている。方向音痴なため、いろんな人に助けてもらっている。東京に行った時も案内はいつも人任せになりがちだが、少しずつ成長してきたとは思う。

東京で出会ったあなたへ
私は笑えていただろうか?ほおをこわばらせて、(東京コワイ、東京コワイ)挨拶をしていたのではないだろうか?
もしも、私が本当の笑顔を見せていたとしたら、きっとあなたに伝わっているはずだ。作田さんって変な人。にやにやしちゃって。テンション高くって。マイペースで。
そう思ってもらえたら、私はとても嬉しい。


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