父性(エッセイ)11
私が結婚をした直後に両親は離婚をした。
私はダブルワークをしていた。町の近くのコンビニでバイトをしていた。
町の人は警察がうちに来て大騒ぎになったことには触れなかった。みんな優しいのだ。
父がコンビニに来ることはなかった。
しかし、私の車のワイパーに手紙が挟まれていることはたびたびあった。筆ペンで書かれた綺麗な文字から、下品な言葉が発せられていた。
弟と一緒に住みたいという内容の手紙もあった。家を継がせたいという理由だった。
父が、ワイパーに祝儀袋を挟んでいた時があった。中身はしわしわの一万円札だった。私は、一万円を募金した。しかし、祝儀袋は捨てられなかった。ぼろぼろの父と、公園に捨てられた子犬を同列に見ていた。
その頃、近所の人たちが父を支えてくれていたらしい。きんぴらごぼうなどの料理をタッパーに詰めて持っていったり、様子を見にいったりしていたらしい。
私は近所の人に、父の介護をしていると勘違いされていたらしい。同じ町に住んでいた先輩が言っていた。どういう経路で先輩の耳に入ったのか先輩もわからないと言った。
父が近所の人にそう言っていたのかもしれない。
そんな感じで、父はなんとか生きていた。
私がコンビニを辞めてから、父は私の職場の駐車場に車を停めて待つようになった。運転をしていると後ろをつけてくる。母と弟の居場所が知りたいのだとわかっていた。私は、その頃、1人で暮らしていた。私の住んでいるところを知られなくないため、逃げた。
赤信号になると父が車から降りてきて、私の車の窓を叩いた。ゾンビ映画みたいだった。少し窓を開けると、母や私宛の郵便物を入れて、車に戻っていった。
家に残したものは、全て捨てられなかった。
引っ越す、というより父の気が変わらないうちに逃げるしかなかったのだ。捨てる余裕がなかった。
父は、ゴミ袋を全て漁ったらしい。母がびりびりに破いたメモをくっつけて一枚の紙にした。そこには、私の元夫の個人情報があった。おっかない内容の手紙が私の車のワイパーに挟まっていた。もう離婚をしていたが、注意をするように連絡をしなくてはならなかった。
実害はなかったらしい。
すごい執念だ。
私はこの時期、母と会っていなかったため、母がストーカーされていたかは知らない。
弟はなにもされていなかった。父は昔から弟の前では立派な父親ぶっていた。弟は、下手な演技をする父に呆れていたらしい。が情は残っていると言っていた。
私は連日のストーカーに疲れていた。会社の人に事情を説明し、仕事が終わったら、駐車場に不審者がいないか確認してもらうようになった。
父は、いつからか現れなくなった。
もう会うことも話すこともないだろうと思っていた。父の存在をすっかり忘れていた。
その頃の父は、実家に通っていた。
祖母にお金をもらうためだ。祖母は認知症になっていた。親戚が介護をしていた。親戚がそれを伝えても父は信じなかった。
ある日、父は祖母に百万円を貸して欲しいと言った。祖母は財布から千円札を抜いて、
ほら百万円だよと言った。
父はその日から実家に行かなくなった。
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