父性(エッセイ)5
中学生になったばかりの頃から父のストーカーが始まった。父は携帯電話を持っていなかったため電話やメールがたくさんくる、そんなストーカーではなかった。
学校の校門の前に父の車がたびたびあった。迎えに来てくれたのかと思ったが、私の姿を確認すると父はすぐに車を走らせていなくなった。
自転車を漕いでいると、途中のコンビニに父の車が停まっていたこともある。最初は偶然かと思っていたが、私と目が合うと父は車を走らせてどこかに行く。コンビニだけではない。
友達とカラオケに行った時も、カラオケ店の駐車場に父の車があった。あ。と思ったら父は逃げて行った。
ゲームセンターでプリクラを撮って出た時も同じだった。
とにかくこんなことがたびたびあった。
母に相談をすると、心配しているんでしょうと言った。私も最初の頃はそう思うことにした。当時の父の目的は今もわからないままだ。
仕事場にもよく現れた。
不審者だと勘違い(いや、不審者だ)されて、仕事場の人が注意をしに行ったことがあった。私は父だとは恥ずかしくて言えなかった。
父は、無言で逃げたそうだ。
その後は、仕事場から少し距離のあるところに父の車があった。私は気づいていないふりをした。
母に構ってもらえなくて寂しいから私を代わりにしようとしているのだと思った。呆れて、無視をし続けた。
弟は、反抗期で家族を避けていた。
母は忙しいから冷たい態度をとっていた。
だから、矛先が私に向かったのだと思う。
父は、私と弟の幼い頃の写真を財布に挟んで持ち歩いていた。アルバムもよくみていた。ビデオをみていた。幼い私と弟は、とんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」を歌って踊っていた。ときおり、リビングから爆音で私と弟の歌声が聞こえてきた。うんざりした。
母は、私の部屋で生活をしていた。
もうリビングに行く人はいなかった。私は自分の部屋で過ごしたし、弟も自分の部屋にいた。母と弟はコンビニ弁当やカップラーメンばかり食べていた。私はお腹を壊すのが嫌で、プリンやゼリーを毎日食べていた。
しかし、お風呂やトイレは一つしかないからばったり出くわすことがあった。会話をすることはなかった。
父は声をかけてほしかったのだろう。
トイレに入っている時、扉をノックされることがたびたびあった。母や弟は、「まだ?」とか「早く」とか声をかけてくるから、すぐに父だとわかる。
その頃の私は反抗期だったのかもしれない。父に優しくするべきだったのかもしれない。
しかし、油断して優しくすると、心中をしようと誘ってくるのだ。身を守るためには関わらないようにするしかなかった。
最後に怒鳴られたのは中学二年生の頃だ。
スーパーで買ってきたナプキンはいつも洗面台の下の棚に入れていた。入れるのを忘れて、隣の洗濯機の上に置いたままにしてしまった時があった。
どこかのメーカーのナプキンを見つけた父は、私を見つけるなり、それを投げつけた。柔らかい袋だから痛くなかった。
父は、「子供を堕胎するな!」と意味不明なことを叫んだ。そのあと「汚物は見えないところにおけ」と意味のわかることを言ってリビングに戻って行った。
恥ずかしかったし、理不尽だと思った。それに汚物って言いかたが嫌だった。
しばらく、父を見るたびに、顔が熱くなった。恥と怒りが混じっていた。それでも、父は私のストーカーをし続けたから、視界の隅にいつもいた。
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