父性(エッセイ)10

先輩とルームシェアをしたり、友達の家に居候をして、家に帰らなくなった。家にお金を入れるのもやめた。たまに弟と外食をするくらいで、家族とできる限り関わらないように過ごした。

荷物を取りに家に帰った時に、玄関に新聞紙が敷かれていた。とても臭い。父の車も母の車もなかった。弟の車はあった。
弟に聞いたら、玄関で、父は母に灯油をかけて、火をつけようとしたそうだ。弟が、父に
「灯油じゃ燃えないよ。やるならガソリンにしなよ」と言ったら逃げていったらしい。
弟は、いつも冗談ばかりを言っていて人を笑わせるのが好きな人だった。
だから、父にも冗談めかした感じで伝えたんだろうなと容易に想像ができた。

父は、家中のものを破壊していて、ガラス扉のガラスがない状態だったり、洗濯機や冷蔵庫などの家電も使えない状態になっていた。
どうやって、母と弟が生活をしていたのかは知らない。弟はいつも冗談しか言わないから、聞いてもはぐらかされた。

母は離婚ができるようにあれこれ動いていた。引越し先は決まっていた。父は、立てこもりをした。死ぬと叫んで、内鍵を閉めてしまった。
母や弟は、私が警察を呼ぼうとしていたら、嫌がった。近所の目を気にしていたのだ。
田舎の町では噂が回るのがネットより早い。炎上をしたら、もう住めない。

嫌がる時でも、へらへらしている弟の真意がわからなかった。弟は誰かを悪く言わなかった。
だから、離婚をしても父のそばにいると言いかねなかった。
しかし、大ごとにしたくない気持ちは伝わった。この町には弟の友達がたくさん住んでいた。知られるのは嫌な気持ちはわかる。

思った以上に、大ごとになった。
これに関してはここでは詳しく書かないことにする。とにかく父は無事だった。弟はその間に自分の荷物を持って、車に乗せていた。
両親は離婚した。
弟と母はアパートに少しの荷物だけを持ち出して住むことになった。
私はその頃、1人で暮らしていた。
祖母と母と三人で荷造りをしていると、父が大きな声で「今から死んでくるー!」と言って出かけていった。私が家を出てから、
父は、「いってきます」の代わりに「死んでくる」と言うようになっていて、母は慣れた様子で「行ってらっしゃい」と返していた。祖母は「帰ってくるんじゃないよ。がんばれ!」と言っていた。
私がいない間にいろんなことが起きていて、びっくりしてしまった。

とにかく両親は離婚した。
その後、父は私に再びストーキング行為をするようになった。

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