どうやって、フリーライターになったのか

最近はブログを書くことからウェブライターとなり、WEBメディアのライターを始めたという状況も多いと思います。雑誌など紙の媒体や書籍を中心とするフリーのライターになった私はそれとは違ったプロセスでライターになりました。時代も変わり、現在とは異なる部分もあるかもしれませんが、ライターになりたいという人のためのヒントになるかと思うので、自分がどうやって、フリーライターになったのかを書きたいと思います。

教育学部を出て教師、法学部を出て弁護士に、あるいは美容専門学校を出て美容師になるように、特定の学部、あるいは専門学校にいけばライターの道が開けるというわけでありません。ライターの専門学校もなくはないが、あるいは宣伝会議のような講座を受けてコピーライターになる人も居るかもしれない。しかし、そうした機関で講義を受けてスムーズにライターになれる人は稀です。

私のライター仲間を見回しても、ライター専門学校を出た人はいませんし、文章に関わる仕事だからといって大学の文学部を出た人が多いというわけでもなさそうです。私は法学部でしたし、周囲のライターも経済学部だったり、あるいは、芸術系の大学だったり。つまり、ライターになるための王道というものはないのです。

では、どのようにライターになったのかというと、抽象的ですが「自転車を乗れるようになるように、ライターになった」のです。ライターの仕事って、「書く仕事」というイメージがありますが、じつは「書く」という具体的な作業の割合は驚くほど少ないのです。では、「書く」以外にどんな作業があるかというと、解りやすくいうと「取材」です。さらに、書いた原稿を校正に従って修正する作業や雑誌などのメディアであればカメラマンが撮った写真の整理、取材先に「こんな風に書きましたよ」と原稿を送って見てみらう確認作業もあります。そもそも、発注をもらう前に、企画ネタを編集部に出すための書類を作ったり、企画が通ったら通ったで、あるいは編集部や編集プロダクションから発注があったら、関連資料に目を通すという作業もある。エトセトラがとても多い仕事です。

企画のネタを考えることや実際に書くこと、あるいは校正の作業などは専門学校などで学べるかもしれません。しかし、多くのエトセトラは専門学校では学べないことが多い、昭和風の言い方をすれば「人間力」が必要な作業なのです。自転車は誰かに助けてもらいながら、見よう見まねで乗れるようになるものです。あらゆる身体の動かし方やバランス感覚の取り方を学びながら、自然に乗れるようになりますよね。ライターもいろんな知恵やノウハウを学びながら技術を習得する職業だではないでしょうか。

では、どのように、そうした知恵やノウハウを学んだか、技術として習得したのか?ときかれたら、じつは、あんまり覚えてはいないのです。ただ、言えてるのは「文章を書く方法」あるいは「ライターになる方法」といった書籍は読んでいないこと、あるいは専門学校や講座で学んだわけではないということです。私がしたことといえば、いまでいうインターン的なことでした。

かつて私はひょんなことから知り合った仲間とハードロックバンドをやってたのですが、そのときのボーカルの女性が、自分より年上で、フリーのグラフィックデザイナーだったのです。彼女の事務所に遊びに行った時、ちょうど飲食店の開店の挨拶状をレイアウトしていて、その文面を思案していた彼女が、面倒くさくなったのか「ねぇ、手伝ってよ!」と私に助けを求めてきたのがきっかけでした。

「てきとーにまとめてくれたらいいから」といわれて開店の挨拶状の文案集のような本を渡され、書くことになったのです。まごまごしながらも私なりに書いてわたしたら、「あ、上手じゃん!」ありがと!といって、なんと、ほぼそのままの文面をレイアウトに反映し、印刷に出してしまったのです。これが、私の文章が印刷物として世の中にでた第一歩でした。

また、「音楽が好きで、編集に興味がある」ということを友人にふれまわっていたところ、友人の知り合いが働く小さな編集プロダクションを紹介してくれました。営業とデザイナー、それぞれ男性2人、編集を担当する女性1人のドリカム的な座組の事務所で、そこでは小さなタウン誌を発行していました。音楽が好きだというと、女性の編集者さんに「じゃあ、好きな音楽について書いてよ。ごめんね、ギャラは出せないんだけどね」と言われ、突然、タウン誌に音楽紹介の連載コラムを書かせてもらったのです。駄文だったと思われる私の文章に編集者さんが手を入れ、発行されたのですが、そこにはちゃんと私の名前が記載されていました。

まさに、書き方もなにも教わらず、ペンと紙を渡され、あるいはワープロの前に座り、突然書きはじめたのです。本当に、自転車の練習のように試行錯誤しながらの書き方です。専門学校にいくと、例えば自転車の乗り方について、講師がホワイトボードに車輪とペダル、フレームとサドル、そしてハンドルの絵を描いて、名称を説明し、それぞれの役割を説明するように、どのようにして自転車が前に進むのかを説明するように、「挨拶文」とは何か?「音楽コラム」の書き方と注意といったことを学び、実技として自転車の乗り方を教わるように、随分後になってから具体的に書き始めるのではないでしょうか。

まとめると、私がライターになったのは、なんの準備もなく、書く羽目になってしまい、心の準備もできないまま作業に取りかかったということです。つまり、とつぜん、自転車に跨がったということです。私の場合、ラッキーだったのは、バンドのボーカリストがデザイナーさんだったということ、友人が編集プロダクションを紹介してくれたということです。結果的に、そうした学びの場が私にとってのインターンとなったわけです。こうして、ふんわりと武者修行をはじめ、武者修行の場で、「毎回ノーギャラやったら悪いから」といって少しづつお金が貰えるようになって、対した原稿が書けたわけではないにもかかわらず、ライターを名乗るようになったのです。大学3年生くらいのころだったと思います。

また、ライターさんのなかには、元は編集部や編集プロダクションにいて、力を付けてから独立してフリーライターになったという人も多いでしょう。彼らも、OJT(On The Job Training)的な状態でライターの技能を習得していったと思いますが、私はそうした編集部や編集プロダクションを経ずにフリーのライターとしてキャリアをスタートさせました。なんというか、性格的に組織に馴染めない感があって、就職せずに生きていくという指針は初めからあったので。そうした職場には身をおくことはありませんでした。

こうして、ふんわりとライターになり、それなりに実績も増えてきたのですが、なにしろ独学なので、技術的には未熟な部分もあったのですが、それは、なんと仕事の発注元から教わったのです。不思議なもので、「編集がライターを育てる」という風土があり、編集さんが仕事をしやすいようにライターを自分流にカスタマイズしておくという関係性もあったと思います。私も、編集者に注意を受け、時には誉められながら、ライターとして働くリズムを作っていくことができたのです。

ただ、恐ろしいことに独学の恐さというか、私の技能のなかで根本的な欠陥が見つかったのですが、それはずっと後のこと、かなりキャリアが出来上がってからのことでした。そのことについては、また、次の機会に書きたいと思います。


 


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