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2023/9/9 世界の終わり

「世界の終わりの日には、何がしたいですか?」と君は問う。僕は「タクシーに乗って、最後の時まで走り続けてもらいたい」って答える。

ニュースキャスターが「今日の夕刻ごろ、世界は大きな光に包まれて終わりの時を迎えます。どうか最期の時を大切な人と過ごしてくださいね」とテレビで言っていた。僕はしばらく誰と過ごそうか考えてみたが、その全てを諦めた。きっと街はパニック状態で、電車やバスがちゃんと機能しているとは思えない。LINEを開き、親や友人に感謝のメッセージを送り、椅子に腰をかけた。空は全てを覆い尽くす程の曇天だった。

家の窓からぼんやりと終わりの時を眺めるのも悪くはないかとは思ったが、せっかくこんな凄い日なんだからカメラでも持って外に出かけてみたくなった。もしかしたら、世界の終わりとはいっても、人類が滅ぶだけで大地が消し飛ぶわけではないかもしれない。それなら、カメラがその場に残り続け、別の人間のような生命体がそれを拾ってくれる日が来るかもしれない。そういう事を考えると、この最期の日を撮ってみる価値はあると思った。

街は思っていたほどめちゃくちゃでは無かった。確かにいつもより人は多い気がしたが、みんなスマホを見たり、友達と喋っていたりして、僕らが想像していた“世界滅亡“のイメージに比べるとかなりのんびりとした風景だ。まぁ、気持ちは分かる。“終わり“とは言われたが、本当に終わるのか怪しい部分もある。ここでもう終わりだって自暴自棄になっても、結局世界が終わらなかったらなんというか、恥ずかしさが残ってしまう。

街の写真を撮った。特別なものを撮っているわけではない。面白い看板が沢山ある路地裏や、呑気に欠伸をしている猫など、そういった、普通の街の写真だ。

しばらく歩いているとお腹が空いてきた。最期の食事…になるのかなと思い、高額な飲食店を調べたりしたが、結局やめた。そば屋…そば屋が良いな。僕はそば屋が好きだ。いつも外で昼ご飯を食べる時はそば屋に入る事が多い。それなら、最期の日もそば屋に入るのが正しいのだろう。天ざると瓶ビールを注文し、ぼんやりと店内で流れているテレビ番組を眺める。昼の情報バラエティ番組で、芸能人達が番組の振り返りエピソードを話していた。

「いやーー、でも、最期の日にこの番組に出れたのは幸せな事ですよ!!」

お腹が膨れ、良い感じに酔っ払った僕は少し気が大きくなり、ちょっと最期の日にロマンを求めても良いんじゃないかという気分になる。タクシーに乗ろう、そう決めた。

そもそもこんな日にタクシーは走っているのだろうが…?そんな事を考えながら人のいない方いない方へと歩く。そうしているといつの間にか数時間が経ち、郊外の街へ辿り着いた。街には人1人出歩いていなかった。

だだっ広い道の側を歩いていると一台のタクシーが止まっていた。「どうされたんですか?乗れますか?」と聞くと、初老の男性ドライバーが「はい」と答えた。タクシーに乗り込み、走り出す。「なんであの場所に止まってたんですか?」と聞いてみたが、特に返事は無かった。

しばらくが経ち、「あ、そういえば、どちらまで?」と聞かれたが、特に行き先は決めてなかった。とにかく遠い所へ行きたい。そういう事を伝えると、彼は「分かりました」とだけ答えた。あまりにも自分に都合の良すぎる運転手で、奇妙な気持ちになった。

「つかぬ事をお伺いいたしますが、ご家族と過ごしたりなどはされないのですか…?」と聞いてみると彼は少し困ったように笑って「えぇ…まぁ…、そうしたい所ではあるのですが、妻も娘も仕事や学校に行くと言って出て行ったので、私も今こうしています…」と答えた。

それからは沈黙、だった。この人と最期の時を過ごすのかもしれない…、それならもっと何か話す事もあるはずなのだが、何を話せば良いかわからなかった。

夕刻まであと何時間あるのだろう…。車に揺られていると眠くなってきた。眠ったまま世界の終わりを迎えるのも悪くない。そんな気持ちだった。

運転手は「好きな曲…かけて良いですか?」と聞いてきた。思わぬ提案にびっくりしたが、勿論ですと答えた。車内に大音量で知らない曲が流れ出す。僕は音楽には詳しくないが、古臭いロックバンドの曲なんだろうなという事は分かった。歌詞を聞いてみるに、どうやら、“世界の終わり“について歌っているらしい。安直な選曲だとは思ったが、その素直さがなんだか嬉しかった。

海が見えた。どうやら、海の見える道をわざわざ選んで走ってくれているようだ。今日は曇りだから、お世辞にも綺麗な海とは言えなかったが、ここからなら終わりの瞬間をちゃんと見る事が出来るかもなって思った。

曇天の日の海は好きだ。晴れた日の海は、あまりにも眩しくて上手く写真に撮れないから。

僕は少し、窓を開けた。

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