見出し画像

9月24日のマザコン28

ひとつ前の記事を読む  記事一覧


パート23から引き続き、「介護で必要だと思ったこと・もの」まとめです。そろそろまとめも終わろうと思っています。

前章の終わりで、メモをわかりやすく残すことがとても大事、たまたま私は文筆業のため文章だけは得意で助かった、ということを書いた。

加えて、もうひとつ「たまたま自分はこれだけは得意で助かった。これが苦手だったら万事休すだった」というものがある。
お金と車に匹敵するくらい、重要なものだ。

それは……、「お喋り」である。
私はマザコンで独身でおっさんで他のことは全部人並み以下の8流人間だが、これだけは、奇跡的に得意だったのだ。
喋ること。単純な「人と仲良くなるためのコミュニケーション力」とはちょっと違う。それは私も8流の苦手だ。
ただの会話ではなく、自分の伝えたいことを、気後れせずに全部言い終える能力。裏の言い方をすれば「相手にうまく丸め込まれないようにする抵抗力、口喧嘩力」。

親の病気や介護で困り果てて、あちこちに相談に行く。
その時、こちらの話に真摯に耳を傾け、進んで有益な提案をしてくれたり手を貸してくれようとする人は、はっきり言って少数である。
残念な現実だが、半分以上の人は……、「親身に話を聞いているフリはするが、こちらをうまく丸め込んで、なんとか話を終わらせ帰らせようとしてくる」。

これも怪我や体の病気の場合なら、誰の目にも明らかな疾患があるわけなので(骨折したレントゲンとか、血液検査の結果とか)、流れ作業のように入院や入所が決まってあまり「誰かとなにかを交渉する」という場面は多くないかもしれない。
ところが、家族が精神を病んだという場合。
精神の病は、レントゲンを撮っても血液を調べても、わからない。だから、本人や家族がどんなに辛かったり苦しんでいたりするかは、ほぼすべて、喋って説明しなければいけないのだ。
もちろん患者本人はまともに喋れないのだから、家族……夫や妻や息子や娘がそれをすることになる。
家族が一番多く話をすることになるのは、病院の人だ。お医者さんを筆頭に、入院になった場合は医療相談室の相談員さんや看護師さん。病院以外では地域包括支援センターの方や、役所の長寿保険課や社会福祉課の職員さん。

精神の病気というのは、と一括でくくるのは無理があるかもしれないが、少なくともうちの親のケースでは、息子の私から見れば明らかにひどく病んでいるのに、「家族以外の人が一見するとどこも悪そうに見えない」という、地獄の様相を見せていた。
特に外出すると外の刺激でいくらか頭が働くようになってしまうため、親を家から出して担当のドクターなどに会わせると、家の様子からうって変わってびっくりするほど普通に喋る、という惨状を見せたりする。
そうなった時に、「この患者さんはたいして悪そうじゃないなあ」と印象を持った担当医に対して、家ではどんな異常な言動を見せているのか、それによって家族がどれほど疲弊しているか。それを介護者である家族が、言葉で説明し、先生を納得させなければいけないのだ。

とりわけ精神の病はそういう患者側に不利な条件があるのに、病院や役所で働いている方々も、悲しいかな半分以上は「面倒なことはイヤ。とりあえず目の前の相談事をうまく切り抜けたい。今日1日が無難に終わって欲しい」という意識の人である。
「病院や役所で働いている方々も」と、最後を「も」にしたのは、「他の職業の人と同じように」という意味を込めてのことだ。どんな職業でもそうだろう。その仕事に誇りとプロ意識を持って前のめりに取り組んでいるような人は、どの職業においても半分もいないのではないだろうか? そうであって欲しくはないが、現実的にはそうだと思う。
我々患者家族・介護者は、そういう人たちが「お話はわかりました。大変ですね。お察しします。まあとりあえずもう少し様子を見てください。なにかあったらまた来てくださいね」とうやむやに面談を終わらせようとしてくる時に、丸め込まれてはいけないのだ。こちらがなにを望んでいるか、今日はどういう成果を手に入れて帰りたいのか、それをしっかりと主張しなければいけない。うやむやに押し切られて「はい……わかりました……はぁ……」と帰ってはいけないのだ。自分の身が大事だと思うのならば。

例えば私がS病院に父の病状について相談に行った時(パート13の時)、父の再入院(もし私に限界が来たらという条件で)について、最初は全然許可がもらえなかった。
これは先生が悪いわけではなく、病院のルールや空きベッドとの兼ね合いだろうが、しかしそういう理由があって随分渋られたところを、私はしつこく食い下がってあれやこれや喋り、「この人、こっちが折れないと絶対帰らなそうだな……」と先生に思わせ、最後にはなんとか許可をもらうことができたのだ。
これがもし相談に行ったのが私ではなく母だったら、先生の1回目の拒否ですごすごと引き下がり、父入院は諦めて意気消沈して帰って来ていただろう。他の人でも、病院の先生から言われたことに素直に従わず、しつこく食い下がってああだこうだと話を続けられる人はあまりいないかもしれない。常識的な人だったら。モラルや常識がある人こそ、お世話になっているお医者さんには強く出ることができないのではないか。

私はモラルの意識が普通よりも低いのかもしれないが、「要望」と「クレーム」の違いはわかっているつもりで、食い下がったり粘ったりするのはあくまで「自分の主張も半分は筋が通っている」あるいは「けっこう無理を言っている気もするが自分や家族を救うためには無理を言うしかない」と感じた時だけである。普段はおとなしい紳士だ。
いや、粘る時でも、紳士的な話し方はする。ただのクレームだと思われたら反感とより強い拒絶を買うだけなので、あくまで「この人の言うことも一理はあるな……」と思ってもらえる食い下がり方をしなければいけないのだ。

私が今回のトラブル下で行く先々で物怖じせず交渉したりしっかり助けを求められたのは、これも私の仕事との関わりが大きかったと思う。
私はかれこれ10年ほど、Podcast(ネットラジオ)の番組を続けている。
趣味から始まって今ではすっかり仕事となっているが、番組の特色として、「言い争いを基本テーマとしている」ことが挙げられる。
長くなるので詳しくは述べないが(気になる方はPodcastやYoutubeで「さくら通信」を検索して聞いてください)、10年にわたってああでもないこうでもないと番組内で醜く争っているうちに、人との議論(口論……)がまあまあ強くなってしまった。
それに加えて、私は作家としては哲学や心理学などの「難しいお勉強を誰にでもわかるように噛み砕いて説明した本」を何冊も出版しているので、情報の収集や選別、そして「どういう情報の組み立て方をすれば相手にもっとも効果的に言いたいことが伝わるか」を見極める能力がそこそこ身についている。と思う。
なんだか自慢ぽいが、これは単純に「仕事で何年もやっていたので自然に身についた能力」だ。個人的な才能とは違う。同じことを長くやっていれば、誰でもその道のエキスパートになるものだろう。海外ツアーガイドを生業としている人は10年もやれば世界中の観光事情に精通するだろうし、コックさんとして10年も修行をすれば日本で食べられるあらかたの料理は作れるようになるのではないか。
それと同じで私は本の執筆やPodcastの放送が仕事なので、それに関するスキルが当たり前に上がっただけだが、それがたまたま病状の説明や入院の交渉など介護の場面で応用できるスキルであったことが予期せぬ幸運だった。
正直、「言い争いに強くなる」などというのは、日常で有用なスキルではない。むしろ飲み会の席などで「人の話の穴を見つけてはツッコむ」という、感じの悪い癖が出てしまい、場をシラけさせたり、顰蹙を買うことが多いのだ……。嫌われていると思う。

でも、その普段は持て余しているスキルが、いざというところで自分と家族を救ってくれた。

これを読んでいる方も、将来もしうちのようなトラブルに巻き込まれることになったら、その時はみなさんが病院の先生と真剣な話し合いをしなければいけないのだ。医療相談員の人や、役所の人や施設の人、いろんな分野の人に状況を説明し、交渉して助けを引き出さなければいけない。できそうだろうか?
私の場合、病院に行って「先生」と「医療相談員の方」と「看護師さん」と「私」、という「病院の人3人 vs 私1人」という4者面談に臨まなければいけないこともあった。
別に病院の人は敵ではない。しかし、どうしても病院の都合とこちらの都合は相反する時がある。そういう時、病院というアウェイの場でなおかつ数の上でも劣勢で、そういった場でも、ちゃんと自分の主張を貫けるか。右から左から説得されて丸め込まれることなく、頼みたいことはしっかり頼み、家族としてできないことはできないと言えるか。それは我々介護者と家族の命運を左右するほどの、重要なことだ。
病院に恵まれないことだってある。私がこの後関わることになる、ある病院の医療相談員の人は、おそらくそれが彼女の仕事の成績につながるのだろう、とにかく「患者を一刻も早く退院させてベッドを空ける」ということしか考えておらず、私は話をしていて腸が煮えくりかえる思いをした。
その件はこの後、有料noteになってからクローズドな場で書いてやろうと思っているが、とにかく病院の人や、役所や介護施設の人でも適当に仕事をしている人はいっぱいいる。一生懸命仕事をしていたって、できれば面倒なことは避けて早く相談事は切り上げたい、と考える人は多い。
そこに、我々介護者は負けてはいけないのだ。怠慢な人にも「チッ、仕方ねえなあ、やってやるか……」と思わせなければいけないのだ。

人との交渉ごとのようなものは苦手だ、という人には、「事前にたくさん準備をする」ということを勧めたい。
私も病院に相談に行く時には、あらかじめ話したいこと……いや、「絶対に話すこと」をメモに箇条書きにして持って行った。
話すことをきっちり書いておいて、なおかつ「これを全部話しきるまでは帰らない」と決めること。なにしろ先生にしろ医療相談員さんにしろ、先方はその分野の専門家であり、こちらは素人だ。それくらいの準備と覚悟で臨まなければ、難しいことを次々に言われて煙に巻かれてしまう。
話す内容だけでなく、「今日は絶対にこれをOKしてもらう」というような目標も決めて行ってもいいかもしれない。どうしても無理なことはあるだろうが、「最低限これだけはウンと言ってもらえなかったら帰らない」と、妥協できる最低ラインくらいは固く心に誓って臨んでもいいと思う。
その具体的な目標を決めておけば、話もあちこちに飛ぶのではなく一本筋が通ってくると思う。「ゴールを決めていない話」というのは話がぶれて長くなりがちで、そういう喋りは印象を残せず、相手側も説得力を感じないものだ。

ここぞという話し合いに挑む時には、「他人からどう思われてもいい」という覚悟が必要だと思う。
ここでゴネたら迷惑な患者だと思われるだろうなあとか、退院を拒んだら他の患者さんのベッドが足りなくなるかなあとか、そういう雑念は全部捨ててしまうのだ。まずは、自分が生き残らなければいけないのだ。自分とその家族の命や健康、人生が1番大事だ。
多分、この世界では命や人生にも枠があるのだ。病院のベッドの数も限られていれば、1人の先生がしっかり面倒を見られる患者の数も決まっている。普段は謙虚に譲り合って暮らしていればいいが、家の破滅がかかっている時に、自分以外のことを気にしている場合ではない。

そういう心持ちで、みなさんもこと介護に関しては、我が侭になっていろんな人から助けを勝ち取って欲しいと思う。
介護をしている人は、介護をしているというだけで、周りから助けてもらえる権利があるのだ。家族を見捨てず、自分ではない人の人生を背負って、必死でがんばっているんだから。
「一人でなんとかするスキル」ではなく、「人にちゃんと助けを求められるスキル」、それこそが介護にとって必要なスキルではないかと思う。



次の記事 9月24日のマザコン29

もし記事を気に入ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。東京浜松2重生活の交通費、食費に充てさせていただきます。