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9月24日のマザコン13

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午後2時少し前に、総合病院・S病院へ到着。
ああいやだ。この病院は、父の精神科の受診から入院から面会、父の脳腫瘍の受診から手術の付き添いと、イヤな用事でしか来たことがない。病院の建物の前に立つだけでなんとも陰鬱な気分になる。
病院とはそもそもそういうものか。ウキウキな気分で行く病院なんてないよな……。でも小さなクリニックよりも総合病院の方が、明らかにダークな気配が漂っているよね。きっと重病重傷死んだ人がたくさんいるからだろう。幽霊もいるよきっと。間違いない。

コロナ真っ只中のため、病院の入口には何人も看護師さんが配置され、厳重な来訪者チェックが行われている。まず機械で体温を測定し、それから咳や頭痛などの症状がないか、2週間以内に県外に行っていないかどうか、ヒアリングをされる。
私はうつ病気味で忘れっぽいので、県外に行ったかどうかはよく思い出せない。まあ少なくともこの2週間で県外に向けて移動した記憶はないから、行ってないはずだ。行ってません。
幸い熱もなかったので、無事に通過できた。
これもし熱があったらどうなるんだろうな……。例えば親を連れて必死の思いで病院に来たのに熱で入場不可とか、そんな事態、恐ろしくて想像もしたくない……。

精神科の受付まで行きY先生との面談で来たことを告げ、少し待っていると診察室とは違う、別室に案内される。
すでにY先生がスタンバイしてくれていた。というかY先生が部屋に来たところで私が呼ばれたのだ。
先生はアラフォー手前くらいだと思うので、私よりは年下だろう。この病院のドクターでは若手なのもあって威張る感じもなく、悪い先生ではない。お会いするのは8月に父の退院を阻止するために来た時以来、一ヶ月ぶりだ。
互いにご無沙汰しています、父がお世話になっておりますと挨拶を交わして、丸椅子に座らせてもらう。
「その後どうですか、お父さんの様子は?」と聞かれ、私は、そうですね……良くないですねえ……昼間から調子悪そうに寝ているし、ボケボケした感じで動きも鈍いしあんまり呂律も回っていないし……と答えた。
しかし今日私が話したいのは、父のことというよりも、父の看病でおかしくなってしまった母のことである。
私はそのままの流れで、「でも今は、父よりも母が問題なんです」と述べた。母はここの患者ではないが、先生は話を聞いてくれている。

私は、「母が、父の退院から1週間も経たずにおかしくなってしまって。家の中をウロウロ歩き回りながら、ウロウロ……ウロウロ歩き回りながら……」と言って、そこで……、喋れなくなった。
これはなかなか、自分でも想定外なことだ。自分ではそこまでとは思っていなかったのに、多分気付かないうちに、この1週間足らずの間に私自身も相当追い詰められていたのだろう……。
私は「母がおかしくなってしまって、家の中を、ウロウロ歩き回って……」と言い、そこでどうにも感情が抑えられず、号泣してしまった。
………私もよくわからない。そんなつもりはまったくないのだ。
でもきちんと説明をしなければと思うのに、なぜか声を出そうとすると感情の混乱とともに涙がドバーーと出て来て、言葉が続けられないのだ……。
ぐくう……どういうことだ。なんで泣いてしまうのだ……。しかも人前で!! 数えるほどしか会ったことのない、ほぼ全然知らない人の前で! しかもこの人、年下だから!! めちゃくちゃ恥ずかしい!! カッコ悪いぞ!! 情けないぞ!!!
と半分は頭で冷静に考えながらも、半分は感情の暴走が止められない。おそらく、今のうちの状況をはっきり言葉にして表現しようとしたからだろう、自分が直面している現実の悲しさや絶望感が突如雪崩のように襲ってきて、どうにも止められないのだ。

普段泣くことに慣れていないだけに、泣くほどに余計に混乱してくる。
あんまり性別でくくるのは良くないと思うが、男の場合は大人になって泣くのなんて感動のシーンかもらい泣きくらいだと思う。多分女性の方が、ワッと泣いてサッと素に戻るということが得意なのではないか。男だと辛かったり悲しかったりしても基本泣きはしないので、たまにこうなると収め方にすごく戸惑う……!
考えてみれば、これも7年ぶりだった。7年前に、両親と犬が住んでいる実家から、父と母は精神病院に入り犬は慈善団体にもらわれていって、誰もいなくなった時。父を入院させて誰もいない実家に1人ポツンと戻った時。さすがにあの時は泣くしかなかった。でも今回はまだ両親とも家にいるのに……ていうか7年前ですら人前で泣いたことなんてなかったのに! なんだコラ!! あたち悲しい(号泣)!!!

………………。ともかく。
泣き言を言っている場合ではない。気を取り直して、とにかく話さなければいけない。私には代わってくれる人は誰もいないのだ。
すいません、すいません、と謝ると先生は「お気になさらず……」と待ってくれたので、何度か深呼吸をして心をなだめる。少しインターバルをいただいたら回復基調になったので、話を続けることにした。
まだいくらか取り乱し気味の声だったとは思うが、それでも私は持ち前のクールさとインテリジェンスを発揮し、ここまでの流れを順番に説明した。73歳にして90歳いや100歳にも見えてしまうくらい、いろいろが鈍くなっている父。その父と一緒に暮らしたことで、歩き回りながら不安の妄想を喋り続けるようになってしまった母。そして私。
話を聞いて、先生は、「そうなんですか……それは大変ですねえ……」と仰ってくれた。どうも。まあ、それしか言い様がないですよね……。

私も、今日はとにかくうちの状況を話さなきゃ、ということで来たため、話してどうなるのかということは特に考えてはいなかった。
先生も、自分が診ているわけでもない家族の相談をされてもなあ……、という気持ちであったと思う。それはそうだ。診てもいない患者の問題を解決するなんて「医学界の古畑任三郎」レベルのよほどの名医でなければ不可能に決まっている。
一応、私の話を受けて先生は、「お父さんが家にいてそんなにストレスがかかるのなら、お父さんに施設に入ってもらうことを考えた方がいいかもしれないですね……。でも、お母さんの治療も早く進めた方がいいと思います」と仰った。
そのアドバイスは、正直「言ってもらえるとしたら多分こういうことかな」と、なんとなく私が予想していた通りではあったのだが、たださすが先生で、その場で先生は病院の相談員の方を呼び出してくださった。
入院できるような大きな病院には、医療相談室みたいなところがあって、公的制度の使い方とか、退院後に自宅復帰が難しそうな患者さんのその後の身の振り方とか、そういう相談に乗ってくれる。
本来、父は退院済みであるし、8月に先生と話した時は、父はそこまでの病人ではないので相談室に受け入れ先を相談するレベルでもない、ということだった。それが今はこうして相談員の方をこの場に呼んでくれたというのは、きっと先生も取り乱す私を見て「ぎょっ、なんでこの人泣いてるの……? いいおっさんなのに……。弱ったなあ、でもまあ、泣くくらいなら本当に深刻なんだろうな……」と、ある程度事の大きさを理解してくれたのだと思う。
そう考えると、私がひどい混乱ぶりを晒したのも深刻さを伝えるためにはとても効果的だったということだ。ふっ……そうなんだよ。そ、そのためにわざと泣いたのさ私は………。け、けけ、計算だよっ、計算………!

相談員さんは女性の方で、父の入所先候補として、浜松市内の有料老人ホームの一覧表みたいなプリントを持って来てくれた。
ちなみに、この時初対面のこの相談員さんには後々いろいろお世話になり、同時に、ものすごく腹立たしかったり不審感を抱かされたり、それによって私がとても苦労をしたりすることになるのだが、それはまた後日の話なので後日、細かく書く予定である。

いただいた資料は、A4の紙が3枚くらい。市の福祉関連のホームページからプリントアウトしてくださったものだそうだ。そこに、有料老人ホームとかなんとかなんとかとか、いろいろずらーっと施設名称から住所から電話番号、そして受け入れ可能な状態……つまり要介護のみとか要支援も可とか、要介護も要支援もついていない自立の人も可とかあるいは自立の人のみ可とか、そういう情報が並んでいた。
なるほど……、なにがなにやらさっぱり……。
相談員の方がざっと説明してくれた。うちの父はまだ介護保険の認定はされていないので、特別養護老人ホームみたいな公的な施設には入ることはできません。すぐ入れるとしたら、民間の施設。このリストで言うと、要支援でも要介護でもない「自立」という表示があるところに入れることになります。すぐ入居可能かどうかは、電話して問い合わせてみてください……。
と、いうお話であった。

ただ、せっかくこうして説明してくださるのに申し訳ないが、老人ホームとか福祉施設とか、そういうことに私が知識がなさすぎて(普通の40代はそんなものだよね)、イマイチ内容がしっかり頭に入って来ない。
私が思うに、うちの状況というのは、すごく切羽詰まっている。このいただいた資料をしっかり読み込んで父が入所できそうな施設を検討し、電話で問い合わせて説明を聞きに言って入所手続きとかをして荷物を用意して実際に父を連れて入所に至る………いつになるか見当もつかないその日まで、うちが、持つ気がしない……。今のストレス下で両親と日々暮らしつつ、私がそこまでのことを成し遂げられる、気がしない。

ただ、それをやるしかないことも確かだ。そうなのだ。
うちは言ってみれば、父が火元で火事になっている状態である。火元から家族全員に燃え広がって大変な被害を生んでいるのに、火元をそのまま家に置いて暮らしていくなんてことは、あってはいけないんだと思う。
そうするしかないのだ。その方向で、やってみるしかない。
ただ、私はそこで、Y先生にお願いすることにした。
「先生、ではこれから、父が入る施設を探す方向で動きたいと思います。ただ、どうしてもお願いしたいことがあります。もし事が落ち着く前に、僕の体に限界が来たら、もう一度父を入院させていただけませんか?」
……………。
私の考えるところ、このまま行くと、父の入所先が決まるよりも私が倒れる方が先だ。
なにしろ、まだ施設に入るとかそういう話を父としていないのだから。まだその話すらしていない段階なのだから。絶対に先は長いのだ。その時に、私が死にそうになったら父をどこかに任せられる担保が欲しい。どうしても。

先生は、難しい顔になった。
うーん、お気持ちはわかるんですけど、病院としては入院する基準というのがありまして、お父さんは病状を見る限りは入院の適用になるような状態ではないんですよねえ……、というお答え。
もちろんそうであろうことはわかっている。だから退院させられたのだし。ただ、父には病院の検査ではわからない症状があるのだ。「同居している家族を狂わせる」という、とてつもなく深刻な症状が……。
私は続けた。
「先生の立場は理解できるのですが、ただ、うちは普通と違っていて、過去に家族が全員うつをやっているんです。母はもう発症して正気でなくなってしまったし、この上で僕も倒れることになったら、うちは終わりです。なるべくご迷惑をかけないように、限界まではやってみます。ただ僕が限界を超えて倒れる一歩手前まで行ってしまったら、その時には父の再入院を認めてくださるという許可だけ、なんとかいただけませんか?」
再び先生は、「いやあ……私も病院では下っ端で、そういう権限がないんですよ。やっぱり入院となると、入院するだけの理由というか基準があって……」という同じ返答。

そのお答えは実にもっともなことで、この病院ではまだ若い先生のポジションというか立場上、本当に難しいのだろう。
ただ、先生が下っ端で権限がないからということで入院の可否が左右されるのも、おかしい気がする。だって、たまたま担当になったのが権限のある先生なら入院ができて、たまたま若い先生になったら入院できないなんて、そんなの理不尽ではないか?
私も人を困らせたり、相手に配慮せず無理を言うようなことは嫌いだ。本来そういう行いは絶対的に避けながら生きているタイプなのだが、ただ、今は家族が滅びるかどうかの瀬戸際なのである。さすがに、家族が滅びることと天秤にかけたら、私は人を困らせる方を取る。
私はしつこく粘った。別に、今すぐ入院させてくださいというわけではないんです。限界が来るまでは、僕一人でがんばります。ただもしいつか「もうダメだ」となったら、もう倒れるという時が来たら、入院させてくれるという許可をなんとかもらえませんか? それがあるかないかで、僕がこの先がんばれるかどうかも変わって来るんです!
………………。
何度か軽い押し問答のようになったが、私がどうしても引こうとしないので、最後に先生は……、折れてくれた。「じゃあ、ちょっと待ってください、一度上の者に確認して来ますね」と言って部屋を出て行き、科の上役の先生に相談し、「許可取れました。もしどうしてもとなったら、入院で大丈夫です」と言ってくださったのである!

この許可を得られたのは大きい……。
入院が、生命線なのだ。
Y先生の寛大な配慮によって、うちは家族全滅の一歩手前に、セーフティーネットができたのだ。
これはものすごく大きなことだ。もうダメだという時に最後の最後に入院という手段が確保されている、そのことがどれだけ私の心の支えになることか! これでうちは、介護殺人や一家心中を免れることができたのだ……。

私は先生と相談員の方に丁重にお礼を述べ、S病院を後にした。
今日ここに相談をしに来て良かった……。


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