見出し画像

9月24日のマザコン7

ひとつ前の記事を読む  記事一覧


両親が寝てから、夜の12時過ぎまでかかって、私はサンドイッチを無理矢理口に押し込めながら、住宅情報サイトで賃貸の部屋を探した。

どういう考え方をしても、私はもう昨日まで自分の生活があった東京には、長く戻れない。
…………果たして親のために子はそこまでするべきなのか? そこまでする義務を子は親に対して負わなければいけないのか?ということはおおいに問いたい。
私にとって東京はただの街ではなく、20年かけて作って来た自分の居場所である。不遇な子ども時代・惨めな学生時代の呪縛から逃れてやっと辿り着いた、「人生って実は楽しいものなのかもしれないぞ」と遂に思えることができた場所が東京だ。
その居場所を、犯罪を犯したわけでも仕事で大きな挫折をしたわけでも大病にかかったわけでも(少なくとも自分は)ないのに、この年齢である日いきなりなんの準備も了承もなく放棄しなきゃいけないのか。今までの人生の出来事の中で、ダントツに最悪に納得がいかない……。
がしかし、「納得いかないので東京に帰ります」と言ってこの状況から逃亡して勝手に帰ったとしても、もう実家がこうなっていると知ってしまった以上、そこから普通に気楽に暮らしていくのは不可能である。どうせ心配すぎてなにも手に付かなくなるのだ。
この状況を知りさえしなければ、なんの苦しみもなく平穏に暮らせただろうに……。
そう考えると、「知る」ということの不思議さよ。親がとんでもない苦境にあるということはまったく変わらないのに、それを知ってしまえばうつ病になるくらい苦しいところを、知らなければ平然と過ごし日常を楽しめてしまうのだ。3年前に出版した哲学の本に、「アイルランドの哲学者バークリは、『存在とは、知覚されることである』と述べた。」なんていう文章を私は書いたが、そのフレーズの説得力を今あらためて感じる。

納得はいかないし覚悟もできていない、嫌でたまらないし後ろ向きな気持ち以外なにもない。でも、そんなこと言ってもどうしようもない。もう現実がここまでの局面に至ってしまったからには、私はこれから無期限で浜松に留まるしかない。
ただ、この浜松の実家……すなわち「精神を病んだ年寄り2人が暮らしている家」に私も住み込んで毎日一緒に暮らすようになったら、遠からず3人目の精神病患者が増えるだけである。
そう考えると、私は常に両親の近くにいながらも、できる限り1人になれる時間・空間を確保しなければならない。
それに仕事のことだって考えなければいけないのだ。
昨日から私は突然の介護離職状態で、当面は仕事どころではなくこの状況から生き残ることだけを考えなければいけないが、もしいつか仕事に復帰することができるのなら、その時のために、創作ができる場所が必要だ。
実家には必要な機材も資料も執筆環境もない。いつの日かそれを揃えることができる、自分だけの部屋というのが必要になるのだ。その時が来てくれるのなら……。

ということで私は、賃貸物件サイトを読みこんで、「実家から徒歩圏内」ということを最優先の条件にして、検索して見つけたいくつかの物件をお気に入りに登録した。物件に空きがあるかは一括で問い合わせができるようなので、すべての部屋にチェックを入れ、「まとめて問い合わせる」ボタンを押す。
………………。
ああ、疲れた……。
昨日の夜飛んで帰って来て、今日は朝からなにも食べずに父を病院に連れて行き往復含めると5時間、物をなくす父と不安攻撃を仕掛けて来る母を相手しながら午後は抵抗する母を精神科へ、ちゃんと薬を飲むかチェックして両親が寝静まってからは夜中まで別に住みたいわけでもなんでもない部屋を探し……、我ながらこの混乱の中、1日よくがんばったよ。自分しか自分を褒める人がいないので、自分で褒めるよ……。

そして翌日は土曜日。
今日は病院も役所も銀行もやっていないので親をどこかに連れて行く用事はない。
そこで早速、私は問い合わせをした部屋の内見に行くことにした。
昨晩一括で問い合わせたところ、もう朝の時点で何軒もの不動産屋から「お部屋あります、ぜひ内見をどうぞ」という案内のメールが来ていたのだ。
そのうちの一箇所に電話をして、午後1時に店舗に行くことになった。
まだ10時過ぎなので少しゆっくりできるかな、と思ったのだが、家事の部分では理性の残っている母から「ツヨシくんごはん買って来てくれない……?」と注文が入った。
そうだった。両親とも買い物に行けず母は料理も作れなくなっているので(父と私は元から料理ができない)、この家には食べるものがないのだ。母がおかしくなって昨日までの数日は、家にあった冷凍食品で食いつないでいたらしい。

一人で車に乗り、お惣菜屋さんへおかずを買いに行く。
棚に並ぶ美味しそうなお惣菜を見ても、今は心がときめくことはない。なぜ実家に帰って来ているのに、私はおかずを買いに来ているのか……。これまで帰省する時には20年以上ずっと、食事は母の作る料理を食べるのが普通だったのに。母も私が物心つく頃からマドレーヌやらチーズケーキやらいろんなお菓子を作っていた料理好きな人なので、自分で作れずに息子が買って来る出来合いのお惣菜を食べなければいけないのはさぞ辛かろう……。ていうか私はこれから毎日毎食、親の食事を用意しなければいけないのだろうか? ここに住んでいる人間ではないのに私はっ。

いったん家に帰り、おかずを置いて私は部屋の内見のために出かけた。
なお、部屋を見に行くとは親には言っていない。昨日少しだけ「こっちで部屋を借りようと思う」と話したところ、例によって母親の不安が発動し「そんなお金あるわけないじゃん! いくらかかると思ってるの!? やめてそんな怖いこと!」と取り乱してしまったので(私の貯金額を知っているわけでもないのに)、当分部屋のことは話題には出さないようにした。

途中ファミリーマートに寄り、バナナ味のゼリー(ウィダーインゼリーのようなもの)を買い朝昼兼用の食事にする。なんにも美味しくないが、こういうものしか食べられないのだ。
不動産屋に着くと、スタッフの方が問い合わせた物件以外にも近隣の賃貸マンション・アパートをいくつもピックアップしてくれており、それをすべて内見に連れて行ってもらうことになった。

先方の車に乗せてもらい、順番に物件を回って行くのだが、道中スタッフさんとの会話は弾まない。そりゃそうだろう、どうして部屋をお探しなんですかという質問に「ちょっと両親の具合が悪くなっちゃって……本当は引っ越したくないんですけどね……」と答える客、それは先方もどう対応したらいいか、扱いに困るだろう。まあなるべく明るくお話しするようには心がけたけれど。

5,6件の物件を回ってもらい、住めそうだなあと思う部屋も敬遠したい部屋もあったが、とにかく「なんでこんなことをしなければいけないんだ?」という疑問・不満が、案内していただいたスタッフさんには失礼ながらずっと私の頭をぐるぐると巡っていた。
なにしろ部屋を探すというのは面倒くさい作業だ。1日で5件も内見に行くのは気力も体力も使うよね。これがもっと前向きな理由の部屋探しであれば、ワクワクする気持ちで面倒など吹っ飛ぶのかもしれないが……。
この次に部屋を探すのは、結婚することになって新居を探す時とか、そういう楽しいシチュエーションだったらいいなあ。

一昨日の夜に突然帰って来ることになって、まだそれからまる2日も経っていない。ので、そんな慌ただしく動き回らなくても、そんなに慌てて部屋探しまで始める必要もないんじゃないか、ちょっとずつゆっくりでいいんじゃないか?という見方もあるだろう。
だが私にはわかっているのだ。
このまま行けば、徐々に私も動けなくなる。
私はこれから確実に毎日、刻一刻と、精神が削られていく。
母は、退院後の父と一緒にいるストレスで退院から一週間も経たずに精神を病んだのだ。私もこれから、その父と一緒に住まなければいけないのである。そして今はそこに、正気を失った母も加わっている。私は住み慣れない実家でその2人を相手に暮らしていかなければいけないのだ……。
そのうち自分が心を病んだら、部屋探しどころか起き上がることもできなくなるだろう。私自身が7年前に経験してわかっているのだ。
だから、まだ自分が壊れていない今のうちに、動けるだけ動くしかないのである……。


次の記事 9月24日のマザコン8

もし記事を気に入ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。東京浜松2重生活の交通費、食費に充てさせていただきます。