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9月24日のマザコン29

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今回で第一部完としたいと思います。

介護で必要なもの……とはちょっと違うかもしれないが、このまとめの最後に、ひとつ付け加えたいことがある。いつか来るかもしれない介護のために、今からやっておいた方が良いこと。
それは、「なるべく早くからたびたび、『その時が来たらどうするか』を親と話し合っておく」ということだ。

その時が来たらどうするか。
これは言い方を変えると、「自分で歩けなくなったら、認知症が進行したら、家を出て病院や施設に入ってもらう」ということ。それを、早いうちから親と話して納得してもらうのだ。
一度ではなく、たびたび。話したことを忘れる余地がないくらい、親の記憶にガシっ!と定着するように、何度も話をしてやろう。親が冷静に物事を考えられるうちに。
親にまだ人の親としての心、理性があるうちに、「子どもには迷惑かけたくないから、介護が必要になったら施設に入るよ」ということを納得してもらう。そして、その方針をたびたび話題に出して確認することで、それを「当たり前の決定事項」として家族全員の意識に刷り込むのだ。

もちろん「歩けなくなったら」「こういう状態になったら」という基準は、それぞれの家で決めれば良いだろう。歩けるかどうかという基準もあるし、「車椅子で動けるうちは大丈夫。でも寝たきりになったら施設に入ってね」という基準も考えられるし、そこは家庭ごとに「介護の負担度」と「親子の愛情の深さ」のバランスによって変わってくるだろう。
ともあれ、その家々の基準を、親が人間らしいモラルや判断力があるうちに話し合い、決めておくことが大事だと思う。
うちはやっていなかったけど! 

でもやっていなくても、これが大事だということはわかるのだ。
というのは、私の知り合い(リアル・ネット両方)でも、「親に施設に入ってもらいたいけど、話をしても『施設になんて死んでも入らないからな!』と拒絶されるので、仕方なく自宅で認知症や歩けない親の介護をしている」という、この世の地獄のような状態にいる介護者さんが何人もいるからだ。

その点、うちはまだマシだった。母は入院はイヤだとか無駄だとかそんな金どこにあるんだとか言ってはいたが、いざとなったら息子の頼みは聞いて病院に入ってくれた。
父は独裁者なので普通に話していたら拒絶しただろうが、「自分と一緒に暮らしていたせいで母が狂う」という凄惨な事故が起きたために、さすがに事の重大さがわかったのだろう、施設に入ることを了承してくれた。

親が大好きでしかも人の世話をするのも大好き、だから親の介護が楽しくてたまらないという人は、思う存分介護人生を歩めばいいと思う。
しかし、そうでないのなら、介護なんてやらない方がいいのだ。家族だしそれなりに貴重な経験ではあるのでいくらかはがんばってもいいが、自分の人生が脅かされるレベルになって来たら、それ以上はやってはいけない。
自分が子である場合も、自分が親である場合もあると思う。しかしいずれにせよ、親と子の間では優先されるのは子の人生でなければいけないのではないか。

人間、年を取ると頭が固く、自分本位になりがちである。高齢になればなるほど「他人の感情」を想像する知力が消えていく。
だから、早く、介護の方針を話し合っておいた方がいいと思う。
もう自分で生きる力がないのに「施設になんて絶対に入らないぞ!」と言い張る親を介護しながら暮らすのは、拷問のような日々だと思う。生きる意味がわからなくなると思う。親を殺したくなると思う。
そうなってはいけない。それを避けるために、ものすごく気は重いだろうけど、なるべく早いうちにしっかり家族として方向性を決めておくこと………それを強く強く強くすすめたい。

そして、これも言いたい。
これを読んでいるあなたも、私も、全員がいつか「介護をされる側」になる可能性がある。
その全員に言いたい。
いつか自分だけで生活ができなくなった時に、家族から「施設に入って」とお願いをされたら、その言葉に従って欲しいと。
私は天涯孤独、できれば体や頭が不自由になる前に自力で死にたいと思っているが、なにかが間違ってこの先に家族ができたとしても、その時が来たら子や孫の求めに従いたいと思っている。
だって、私が背負わされたような苦しみを、自分の大事な子どもに味あわせるわけにはいかないから。

みなさんも、これまでに私が書いたような孤独や痛みや絶望を、お子さんに経験して欲しくはないでしょう。
もし介護が必要な体になって、いつまでも施設や病院に行くことを拒んでいたら、お子さんの人生は台無しになります。あなたのせいで、あなたの家族の人生は壊れます。
死んだ時に、愛する家族から「本当にあなたの介護が辛かった。あなたのせいで私の人生はめちゃくちゃになった。やっと死んでくれたね」と思われるか。それとも「お父さん(お母さん)は最後まで家族に面倒かけなかったよね。本当にいいお父さんだった。大好きだよ」と言って見送られるか。
人生の集大成、最後の最期に嫌われて死んで行くか惜しまれて死んでいくか、それは私やみなさんが「自分で生きられなくなった時にどういう態度でいるか」によって決まると思うのです。


………………。


以上。
これで「介護で必要だと思うこと・もの」および、マザコン日記第一部を完とさせていただきたい。

唐突だけど、この区切りを利用して、ひとつピンポイントのお願いがある。
この日記を読んでくれている人の中で、私の本名を知っている人。
要するに、学校の同級生や近所の方や親族の人。
私の本名を知っているような関係の方がこの日記を読んでいたら、私や、私の家族にはこの日記のことは話さないで欲しい。
私と会う機会があっても、私の前では、この日記を読んでいるということは隠して欲しい。家族の前でも。この日記の内容には触れないで欲しい。
もちろん介護の情報が必要な時などには、私が経験したことはいくらでも話すけれど、そうでない普通の時には、知らんぷりをしていて欲しい。
昔からの知り合いとは、明るい話をしたいので。

さて。
実は、「介護で必要だと思うこと・もの」はもう少し続きがあって、どこかでちらっと書いたが、私は「親の入院が何度も拒まれたら実行しようとしていた最終手段」がいくつかあった。
その「最後の奥の手に出る覚悟」というのも、介護において必要なもののひとつかもしれない。
本当にやれたかどうかはわからないが、一家心中するくらいならこれをやるしかない、と思っていたことがいくつか。7年前から考えていたこともあれば、今回いろんな方から助言をいただいて思い至った方法もある。
ただ、それらの手段はモラルの点で問題があったり、違法行為だったりするため、一般公開の記事では書かない。
よって、次回からの有料記事で、その手段については書いてみたいと思う。最後の手段を知っておきたいという方は、参考になるかどうかはわからないが、読んでみて欲しい。

ということで。
この後も私の日記は続くのだが、次回からは有料noteという形にさせてもらおうと思う。
金額は、次の日記だけ妙に長いので150円、それ以降は1記事につきnoteの最低設定金額の100円(+税で110円)にする。

有料にするのにはたくさん理由があって、ひとつは、完全オープンな場では書き辛いことを書きたいため。
上の手段についてもそうだが、父と私の関係性や父の病状や入院その他に関して、書いてしまいたいがここまでは我慢していたことがいろいろある。
私は、父と病院に対して、非常に不満、いや、心の底から怒りを感じていることがある。ものすごくおかしいと思うことがある。父が認知症になってしまったのは、避けようのない病気などではなく、人災だと思っている。
この後父と暮らしていく中で、私の精神もかなり追い詰められ、いろんな呪いの感情が渦巻いた。なんで母は、ただ父と一緒に暮らしているだけで頭がおかしくなってしまったのか? それを、私もこの後身を以て知ることになる……

無料記事だと検索に引っかかってしまうし、簡単に拡散されるので私はこれまでは自分をなだめながら、際どい部分はオブラートに包んで書くようにしていた。病院に対してはなるべく感じ良く、感謝の言葉を並べるようにした。本意ではないが。
ここまで抑えていたことを、今後有料記事で書いていきたい。有料記事は無料記事と比べて断然炎上しにくいので、良い子ぶる必要もなく、自分を偽らずに書ける。

あとの理由は単純に、私も職業が文筆業なので、そろそろ文章をお金に換えたい。
ここまで無料記事として単行本1冊分……新書なら2冊以上分はゆうに書いたので、そろそろ有料化して生活費を稼がせて欲しい。
私は、自分の家に帰らなければいけないのだ。意地でも毎月東京の家に帰るのだ。そこに私の人生はあるのだから。そのためには交通費と家賃を捻出しなければいけないのである。なにがなんでも!

Podcastでも有料作品を作っている経験から言うと、無料購読者さんのうち、有料のものを買ってくれる人の割合は5%未満である。
なのでここまで私の日記を読んでくれた9割以上の方とは、今回の記事をもってお別れとなってしまう。それは寂しく思うけど、ともかくこんなに暗くて長い、憂鬱な日記を29回分も読んでくれたみなさんに、心からお礼を述べたい。
突然の介護の悲劇を多くの人に伝えたいという動機。そして自分はまだ消えていない、世界の片隅で生きているんだ、ということを知って欲しくて、この日記を書き始めた。
続き物の宿命だが、最初は話題にしてもらえたものの、回を重ねるごとにだんだん反響は減って、後半になるとほぼ無風状態でパソコンに向かう日が続いた。そういう中で自分の思い出したくもない陰鬱な経験を書いていくのはとても辛かったが、それでも時々感想をツイートしてくれる人や、記事を広めてくれたりメッセージをくれたりいいねをつけてくれる人がいて、そのおかげで私は「ああまだこれを読んでくれる人はいるんだなあ」とモチベーションを保つことができた。
中には無料記事にもかかわらず、サポートをしてくださる方もいてとても嬉しかった。今後のためにお金は節約しなければいけないが、サポートをもらった時には小さな贅沢として、カレーにカツを乗せることにしていた。私の大好きなCoCo壱番屋で、いただいたサポートでいつもは手を出しづらいトンカツをトッピングする……。それがこの暗い生活の中での、ささやかな楽しみだった。
みんな、ありがとう。

さて、有料にはなってしまうが、まだこの日記は続く。
こんなところで宣伝も場違いと思うのだけど、暗い文章にお金なんて払いたくないという方は、もしよかったら私の本も読んでみてもらえたらと思う。
この日記と私の著作では文章が別の人格なので、もしかしたら本の方は気に入ってもらえるかもしれない。まったく気に入らないかもしれないけど。

では、第一部終了です。
引き続き、私の精神が保つ限りは、週1回更新で第二部を書いていきます。


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