見出し画像

9月24日のマザコン22

ひとつ前の記事を読む  記事一覧


KM病院から出る時に、私は受付に立ち寄って気になることを尋ねた。
それは、入院費のことである。
なにしろ先月までは父が何ヶ月も入院していたわけで、入れ替わりで今月からは母親が入院、残念ながら母の入院もきっと長くなるだろうから、今後の医療費がどれほどの額になるかを知っておきたい。
預金残高を計算したところうちには70代の夫婦として世間並みの貯金はあることはわかったが、しかし我々家族は医療費が全然世間並みではない。これだけ切れ目なく毎月誰かが入院している(しかも月の最初から最後までみっちり)という状態は、世間の通常の家庭とは違うはずだ。こんな医療費のかさむ生活をしていて世間並みの貯金で足りるのか、私もかなり不安である。

受付の女性に母の名前を告げ、今日入院したのですが、だいたい月々の支払いはいくらくらいになりそうですか?と聞いてみる。
すると担当の方は、少しパソコンをいじって、「30万円くらいですねえ」と仰った。

………………。

い……、今なんと仰いましたか……。
さ、ささ、30万円……。そんなにかかるの……?
えーと、たしか「高額療養費制度」っていうのがあったと思うんですが……。医療費って、食費とかは別としても最高で月7~8万円くらいしかかからないんじゃなかったっけ日本では……。先生の話では個室じゃなくて大部屋の入院ということだったし、個室代も発生しないのになんで30万円もかかるのですか……?

聞いてみると、なんとここ数年で、医療費削減のために日本の高額療養費制度は大幅に変更が加えられたらしい。
7年前あたりはどんなに医療費がかかっても月8万円ちょっとが限度、それ以上は行政が負担してくれる(ただし食費や個室の部屋代や洗濯・おむつ代等は別)という仕組だったのだが、平成30年に大きな制度の改定があり、高齢者でも現役なみの所得がある世帯は、月額の自己負担の上限が25万2600円+α!!になってしまったそうなのだ。
そして、うちはその「現役なみ所得」という区分に入ってしまい、よって毎月の入院費は25万2000円に食費が加わって、およそ30万円の支払いになるということなのである……。

「現役なみ」に区分されたといっても、うちの両親はもちろん働いていない。年金生活者である。
なぜ年金生活なのに「現役なみ所得」なんて不可解な枠に入れられているのか?と納得がいかず後々調べてみると、このような理由からだった。どうやら、うちはたまたま去年親族が亡くなってその遺産相続手続きをしたために、去年だけたまたま相続分の所得が加算され、その結果なんと、去年の所得額を根拠に、今年!!!うちは「現役の社会人なみに所得のある世帯」と認定されてしまったようなのである。
うう……
なんという最悪のタイミングなんだ……

別にうちは高所得者なわけではない。ずっと年金暮らしで、去年だけたまたまピンポイントで「現役なみ」程度の所得(相続)があっただけなのだ。現役なみ……、せいぜい現役で働いている一般的な社会人程度の所得なのに、それで母一人だけで医療費が月に30万円もかかってしまうのだ……。
たしかに、父の入院費も妙に高いなと思っていたんだ。母が「お父さんの入院で100万円もかかった!」と騒いでいて、確認した結果100万というのはさすがに母の妄想だったが、それでも私も領収書を見て「えっ、こんなかかったの!? なにか特別な治療をいろいろしたの!?」と思う額であった。
平成30年……ほんの数年前に国の制度が変わり、さらにうちはちょうど去年に相続があったため今年から「現役なみ所得」と認定されてしまい、よりにもよって、その今年に両親とも入院期間が何ヶ月にも及ぶ精神科病棟に代わる代わる入ってしまうとは……!! うちはどこまでついていないんだ……。
本物の現役の社会人だって、一人で毎月30万円も医療費がかかり続けたら、あっという間に破産してしまうのではないか。これでは去年相続で収入があったからって、そのおかげでうちの医療費は本来の数倍に高騰し、結果的にむしろ大赤字になってしまうのではないか……。だってずっと誰かしらが入院しているんだから……しかも出費は母だけでなく、父の生活費や医療費もかかるのに……。
もしこれで父も再入院にでもなったら、うちは医療費破産するのではないか(そりゃ1年や2年は持つだろうけど)。まさか、私が本の印税をコツコツ積み立てたわずかばかりの貯金も、両親の医療費として消えてしまうことになるのではないか。でもお金が惜しいからって父を入院させずに私が耐え続けられる自信もないし……。近い将来、破産覚悟で父も入院させなければいけない、そんな時が来る気がしているのだ……。(不幸にしてその予感は、この後現実のものとなる)

入院費を聞いてかなりショックを受けたが、まさか値切り交渉ができるわけもないし、悩んでいても仕方ない。うちには夕食を待っている人もいるし、帰らなければ。
浜松の道路や交通事情をちっとも把握していないため、カーナビの指示通りに進んだところ、市街地の方へ出てしまいまたひどい渋滞にはまる。それでも父の注文のセブンイレブンを見つけて降り、パンを3個買う。
なんとか1日の仕事を終え、家に着いたのは19時。
朝9時に出発して、10時間か……。長かったけど、なんとか母の入院を成し遂げられた……。とにもかくにも、明日からは母の不安妄想口撃を自分ではなく、プロの医療従事者の方たちが引き受けてくれるというのは本当に助かる……。もうこれからは、私一人で耐えなくてもいいのだ……。

父はもう風呂上がりで寝る準備といった様子だったので、「ごはんは? セブンイレブンでパン買って来たよ」と言うと、父は「ごはんはもう食べた」と言う。
家にあった食糧を、なにかしら食べたらしい。じゃあ、最初からそうしてくれよ。なんでこんな日にまで俺に夕食を買いに行かせるんだよ……。
さすがに私はリビングの絨毯の上に、バタッと倒れた。もう動けない……一人でやることじゃないよ、これは………

でも、この夜は、食欲が出た。
しばらく絨毯の上で伏せっていたが、私にはカロリーが必要である。
父が寝てから、車に乗って積志中学の近くのガストへ行った。ファミレスはちょっと高いけど、浜松は飲食店がほとんど21時で閉まるので、私の食欲が出る時間にはファミレスか牛丼屋かラーメン屋くらいしか開いていないのだ。
とにかく体力が回復しそうなものを、とステーキを注文した。さすがに今日くらいは、奮発してもいいだろう……。ガストのステーキだし。
今日1日を乗り越えた達成感のためか、平常に近い食欲で、ステーキが美味しい。しかし……、達成感と対をなすように、美味しいステーキが目の前にあるということに対して、母は今病院で怖くて寂しい思いをしているのに、自分だけ美味しいものを食べてしまっていいのだろうか………という、罪悪感も沸き出てくる。昨日まで家族として苦しみを共にしていたのに、今日私は、母を精神病院に入れて、自分だけステーキを食べている……。自分だけが食事を楽しんでいる。
母はちゃんと寝れているだろうか……。

翌日はまた買い物。杏林堂薬局や100円ショップなどをまわり、爪切り、袋、お風呂に持って行くカゴ、ボディタオルなどを買う。母の眼鏡の入れ物がなかったので、眼鏡屋さんに寄り眼鏡ケースも。
一度家に帰ってそれぞれに名前を書いてから、またKM病院へ。
母と面会。入院が決まった昨日よりは、いくらか取り乱し具合が落ち着いているように感じた。それでも、入院費なんて払えるわけないじゃないか、というお金の不安はいつも通り何度も口にしていた。私もお金については不安だけど……。
でも、なにはともあれ「ここは病院である」という安心感はすごい。家にいて一緒に住みながら母の不安発言を聞かされるのと、「ここは病院で母は入院中で今は面会をしているのだ」という認識のもとで不安を聞くのとでは、こちらのダメージが全然違う。
昨日までの私は、この母の不安妄想を逃げ場のない家で1日中聞かされていたのだ。我ながらよく耐えていたなぁ……。
まだ入院1日目なのに、うちの環境は大きく変わったのだということをしみじみと感じる。

翌、日曜日はやっと外出しなくていい日(買い物以外は)となったので、メールやSNSのコメント・DMなど、溜まりに溜まっていたあれこれを返信する。
この10日ほどは、あまりの時間と心の余裕のなさに、テレビどころかネットもほとんど見られない、世間から隔絶された日々だった。

パソコンの「お気に入り」に、先週部屋を探した時に使った住宅情報サイトを登録してあったので、そこでなにげなく東京の私のアパートを検索してみた。
建物の名称を入力するとちゃんと物件として、私の住むアパートも出て来た。写真つきだ。アパートの外観の画像が、違う角度から数枚掲載されている。
………私の家。なんだか、すごく懐かしく感じる。
おお、私の部屋の、ドアも見える。このドアの向こうでは、まだ住人だった私が、パソコンデスクに向かっているのかな。この共同玄関も、ゴミ捨て場も、懐かしい……。
帰りたいなあ。10日前まで住んでいた、私の家に。
なんだか、そこに住んでいたのがすごく昔のように感じる。
この10日の間に、あまりにもいろんなことがあり過ぎた。10日どころか、何ヶ月も過ぎてしまったように感じる……。
自分の家に、僕はまた戻れるのかなあ。


次の記事 9月24日のマザコン23


もし記事を気に入ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。