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3年の眠り

早いもので、ね、本当に早いもので。
2023年、間もなく終わり。

どんなに忙しくても合間で、暮れには芝浜を聴く。
今年は談志全盛期の。志ん朝も良いけど手元にテープがない。

現実的な色々問題はあったけど、ここまでの流れで、僕が果たさなければならなかった使命、2023年に与えられていた任務を全う出来たことでホッとしている。これでもう良いんだな、と言う解放感と。
数十年の約束でもあったから。

今年でSNSでの発信を休止して、いわゆる人間活動に入った。いや、それより持ち帰った標本を整理しては並べてる感じなのかな。
あの鬱蒼とした森の奥の感触、皮膚で感じられるものや、濃厚な匂いや、沢山の音が思い出されて。

ところでね、改めて思うけど、このページに書いて来たものたち、ね、特にエッセンスシリーズとか、後にも先にももう書けないだろうな、と感じる。
この3年は特別な時間だった。もしかしたらこう言うのを書く為の三年だったのかも知れない。
その内容が活用されてないし、読まれてないのは残念と言うより、何か途方も無い感じがする。
手つかずの自然の様な。
かくいう僕自身が読み返しもしていないし、振り返ってもいない。
それでも良く書いたな、と。
いつかどうなるかという、あるいは今何の目的でと言う、そう言う理屈が通じない様な、生まれるべくして生まれて、一際そびえ立ってはいるけれど、誰も気づかず、産み落とした本人さえも扱いを知らない。

まあね、この世界、分からないことだらけなんで。

宇宙がどれ程広大なものか、時に思いを馳せると良い。

3年ほど、ある種の眠りの中に居たとも解釈出来る。
そしてこれから何処へ行くかと行ったら、もっと深い眠りの中。そんな気がする。

昔、とある田舎の街で数週間暮らしていた。
と言うより仲良くなった人に匿われていたような感じで、誰にも追われていないのに、僕らは逃亡者の様に片隅でひっそりと、この直ぐに終わる時間の中をまるで永遠に続くかの様に過ごしていた。
ある日、夕方に居眠りしていた。窓から陽の光が入ってきて眩しくてぼんやり外を見た。
ずっと聴こえていた。ずっと鳴り響き続けた。
それは物理的な現実と同じくらいにリアルに聴こえた。音楽と言うか、あの世の音楽。
その時間は僅かだったけれど、あの何処からともなく鳴り響き続けたあの世の音楽を、ふと思い出す時がある。あれは一体何だったのか。なぜあの時だけ聴こえていたのか。

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