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物語の終わり

ただでさえ時間がないのにテーマの時期に入ってしまい過去に読んで来た本を少しづつ読み返している。
特に小説は物語に入り込むので時を忘れる。
一瞬にして時間が過ぎ去る。

ブログも数本書きかけてお蔵入りしている。
もう一つのブログページは年に数回しか書かないけど、あと2つは残しておきたい内容があり、それも後回しにし続けていて気になっている。
どうにもこんなことは初めてだ。
取り敢えずどんどん終わらせて生きて来たのに。

今回もちょっとした話に止めておく。

人の一生は一つの物語。
そして、場は人生が恐縮された点である。
人の生と死の全てが場の中で完結される。
僕は見てきた。
無数の物語を。

数限りない物語。
それら一つ一つに宇宙が宿り完成されている。
一つの物語を最初から最後まで辿ると、それがいかに綺麗な完成された姿か、いかにパーフェクトか、どの物語も全宇宙そのもののように凄い。

僕自身も沢山の物語の中で生きて、見てくる、物語を全身全霊で自ら感じて貰えるように、一緒にその中に入ると言う数々の物語から物語を渡り歩く、と言うその特殊な役割を生きた、この生自体の物語、メタ物語も終わりまで見届けたと言う実感がある。

今でもまだその人の物語に入ると言うことはやっているけど、ふと創作物、人間の心の奥から現れた芸術としての作品も全く同じで、現実の生の物語と創作されて形となった物語との違いは全くない、と感じる様になってきた。

映画や音楽を鑑賞する時、様々な芸に触れる時、小説を読む時、そこにある物語は場で見てきたもの、この現実の確かな生となんら変わりはない。

今嘗て読んだものを読み返していて、強く思うのは、もう最後かも知れない。
もうこの物語を経験することは出来ないかも知れない。と言うこと。単純に言って読むのはこれが最後かもってことなんどけど。
つまりはそれは別れである。
もうこの世界に戻れないことを意味する。
最近はそれを読み始めに感じる。
最初の1行が別れを匂わせている。

始められたものはやがて終わりを迎える。

大好きな一つ一つの物語と、別れて行く。
無数の死と向き合う様に。

ありがとう、さようなら、と。

あまりに儚く、そして鮮やかなその物語との別れを今味わい続けている。

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