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気づいた時には遅過ぎる?

認識の旅。
昨年の後半くらいからずっとそのテーマが過っている。ここ数年、この人生でこれまでで一番長く、動きを止めて同じ場所で、同じ景色を見ている。

そんな中で幾つかの本、音楽、映画をもう一回見なければならない、と思っていて、リスト化もしたい。
必ず見えてくる何かを感じている。
直ぐにも始めたかったけど、仕事に追われて結局まだ最初の一歩さえ踏み出せずに、やや余った時間に断片的に見ているだけ。
全編を通しで鑑賞出来るのはもう少し先かも知れない。

しかし年は取って行く。

まあ良いや。

数日、久しぶりに子供達と24時間共にした。
寝るのも一緒で、沢山寝た。
いつの間にか時は過ぎている。子供と過ごす時間も本当に僅かなんだな、とヒシヒシ感じる。

いや家族だけてはなく、誰とも長く一緒に居られないんだな、って。

幾つかの映画と小説を、通しでは無理なのでちょっとづつ見た。
ふと、繰り返すモチーフが。
それは、気づいた時にはもう遅すぎる、と言うこの人生のこの世界のテーマで。
そのメッセージは重要な場面、シーンの背景に必ず現れる。

気づいた時には、それはもう去っていた。
大切なもの、掛け替えのない、美しい瞬間。
何故、それをもっと引き寄せなかったのか、もっと共に居ようとしなかったのか。
何故、あっさりと手放したか。何故、自らそこを去ったのか。何故、気づかなかったのか。

圧倒的なまでに嘗てそこにあり、己を愛してくれた景色が、今は遠く去ってしまったその世界が見える。

それに気がつく瞬間。
遥か彼方のその時を想って胸が熱くなる。

気づいた時には既に遅過ぎた?

死のその瞬間に気づいたと言うシーンも映画にあった。

さて、今僕は思う。
遅過ぎた訳では無いと。
例え死の間際であろうと、命ある時に気がつくことが出来たなら、それは生きるに値した人生だったと。

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