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パラレルワールドと場

久しぶりに僕が見て来た場のエッセンスを。
パラレルワールドは実在する。
この世界は無限の可能性の内の1つにすぎない。

並行して無数の世界が存在している。

科学的にと言うのか、素粒子科学の理論上はパラレルワールドはほぼ証明されているだろう。
でも僕は科学に詳しくはないし、そう言う理論としてではなくパラレルワールドの存在を確信している。

パラレルワールドと言う概念を知る遥かに前から、僕はその存在を知っていた。
いや、体験していたし、見ていた。

人間の心の奥の奥に何があるのか、そこへ潜って行く実践を僕は場と呼び、数々の人達と共に探求してきた。

そこで見て来た真実を、走馬灯としての世界と読んでみたり、渦、螺旋、として描写したり、或いは全ては夢幻の如く存在している、と表現したりしてきた。
名人の舞う能楽や、ピグミーの歌うポリフォニーや、ショーヴェ洞窟の壁画にその表現を見る。
それは世界、宇宙と人間の意識、心の1番奥にある、1番元にある実相なのだと言える。

それはまたパラレルワールドを認識することでもある。パラレルワールドを見ること、と言っても良い。

場において、僕らは何度もパラレルワールドを経験する。理論上はパラレルワールドは同時に無限の可能性の世界が存在していてもそこには行けないと言われる。この世界以外は見ることが出来ない、と。しかし、場において、人間の心、1人ひとりの内奥において僕らはパラレルワールドの違う世界をも見ることが出来る。並行して存在している無数の現実を見て経験して生きることが出来る。

その経験が人の契機となる。
人が乗り越えるきっかけになる、変わるきっかけになる。救われるきっかけになる。

場において僕らはパラレルワールドを見る。
このたった1つの世界、たった1つの人生は無数に存在するパラレルワールドの1つなのだ、と。
どんな時もこの世界には無限の並行する世界が存在しているのだ、と言うこと。

繰り返すけれど、これは想像ではなく、SFでもメルヘンでもない。哲学や思想でもない。
それは現実に真の姿だ。
そして、人間と世界を見て行くとき、必ず僕らはパラレルワールドの存在を知ることになる。

自分の中にも、そして人の中にも。

たった一人の人間の心を共に掘り進む時、そこにその人の人生の深層がたち現れる。
なんと豊かでなんと無限なことかと、顔を見合わせる。そこには無数のその人と、無数のその人が生きた人生がある。こうなり得たかも知れない世界ではなく、こうもなっていた世界が同時に無数に存在しているのが見えてくる。その光景は圧倒的なものだ。

これはもっと詳しく語るべきだが、今回はこうして触りとして、その世界は場において経験され、見せられる真実の1つである、と言うところまでを提示しておこう。

何故ならこの認識はヒントを与えてくれるだろうから。これは場の秘密の需要なカギとなる。

そして、これは改めて対面での語りで体験して頂きたいことでもある。

はい。本当に久しぶりのエッセンスシリーズでした。またお会いしましょう。

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