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書くことを忘れて

ああ、また前回の更新時からかなり間が空いてしまった。

前も書いた通り、別に義務があるわけではないし、好きな時に書けばいいだけなのに、なぜか落ち込んでしまう。

もともと文章を書くことが好きだ。
でもそれよりも文章を読むことが好きだ。

時間が少し開けば本を読む。気づくと寝ている時もあるけれど。

昔から親はいつも本を読んでいたし、大人はみんな本を読むものだと思っていた。

だから同居を始めて、こんなに本を読まない人っているんだ!と面白く思ったことを覚えている。
反対に、相手は私のことを見て、こんなに本を読む人がいるんだ!と驚いたらしい。

思えば小学生のころから図書室や図書館に通って、読めもしない量借りてきて、でも気分が乗ると意外と全部読み切る、なんてことをしていた。
いまでも週末に図書館に行って抱えきれないほどの本を借りて、ちまちまと読むことは趣味として続いている。

子供の頃から習慣化しているので、そういうものだと思っていた。

本を読むという行為は息を吸うほど当たり前で意識したことがない。
もちろん息を吸うほど頻繁に本を読んでいるわけではない。息を吸う意味を考えないように、本を読む意味を考えたことがないという意味だ。

賢い人がやることだとか、特別な趣味だとか、そういったことは一切思ったことがないので、本を読んでいるだけで「お前こちらのことを馬鹿にしているのか?」と言われる世界線があると聞き、本当に驚いた。

もしかして、本を読まないことをコンプレックスに思う人がいるのかもしれない。

でも私からしたら、図書館に行けば無料で借りられるわけで、お金がかかる趣味でもないし、なぜ特別な人(特別だと思っている人)のものと捉えられているのか全くわからない。

本にも難易度(深さ)やジャンル(幅)があるので、好きなエリアを見つけられれば苦ではないのにな。

タイトルを決めてから文章を書き出したら、書くことより読むことの話になってしまった。

何が言いたいかって、本を読むのが好きでたくさんインプットしているのに、私にはアウトプットが足りないということ。

毎回文章書くたびに同じこと書いているけど、やっぱり今日も同じことを思うのであった。

自分の言葉って、やっぱり書くことでしか育たないから、仕事と離れて自分の思いを文章にすることを定期的にやっていきたい。

何にも考えずにキーボードを打ち始めたけど、気づいたら1000字近く書いていて、やっぱり文章が好きだなあと再認識した。

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