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予定通りに予想外と出会う

毎日を過ごしながら、今日はnoteになにを書こうかな〜と思うようになってきたので、少しは習慣化してきたのかもしれない。

こういう目線で日々を過ごすと、なんとなく時間が経つのではなく、都度自分の中で振り返ることができるというか、客観的に、一般的に出来事を捉え直すことができる気がする。

昨日、自分の言葉でハッとしたことがある。

自粛生活が始まって、変わったことを以下のように表現した。

“偶然の出会い、いわゆるセレンディピティ的なものを感じるシーンは少なくなったよね。会社の帰りにどこかに立ち寄ってインスピレーションを得たり、飲み会ではじめましての人と意気投合して仕事にいい影響があったり、そういった機会は本当になくなって、予定通りの淡々とした毎日を送っている感じ。”

自分でも書きながら初めて認知した感情だったので、結構びっくりした。これだから文章を書くことってそれ自体に意味があるなあ。

昨日家にいてちょっと思い悩んで煮詰まったことがあって、ひとりになりたくて深夜家を出て散歩をした。家から出たのは物理的にひとりになれる空間がなかったからなんだけど、歩き始めたらなんだか深夜の探検みたいで楽しくなってきた。

普段歩かない道を歩いて、考え事をして、夜空を見て、家にいたら辿り着かないような思考を巡らせて、ひたすら歩いていた。

距離としては大したことなくて、それなりの範囲を道を変えて歩いていただけではあったけど、こういう無計画なことって久しぶりだなと思って。数時間前に上の文章を書いたことも影響しているのかもしれない。楽しくなって、悩んでたことがどうでもよくなってきた。

そして歩くこと約1時間、いつも通っている道の一本隣に銭湯があることに気づいて、しかも24時まで営業していたので空いていた。

なんの支度もしてないけど、家まで近いし入っちゃえ、と勇気を出して入ったところ非常に昔ながらの銭湯で。番台さんもお客さんもおばあちゃんばっかりで、おばあちゃんたちは遠くの席でそれぞれ髪を洗いながら世間話をして、誰かが帰るときは「おやすみ〜」と言い合っていて。

なんだかとってもほっこりして、ああなんて素敵な空間にいるんだろう・・・と思いながらお風呂と、そしてサウナまで堪能して生き生きと家に帰りました。

いま、会社の人でさえほとんど会うことがないから、こういうコミュニティの形を見てなんというかグッと来てしまった。

まだ何もかも自由にとはいかないけど、でもひとりでもこうやって楽しいことを見つけられるんだなって、積極的に予想外と出会うことを予定していきたいなって思った夜。

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銭湯に救われた。

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