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【まとめ用】紫陽花の季節、君はいない 12〜22話

「何で俺が送り届けなければならないんだ?」
 八幡宮の精霊たちは平気だけど、俺は知らない人間に対しては人見知りをしてしまう。

「夏越、私は人の姿はしているが精霊であるぞ。こういうことは、同じ人間であるお前の役目であろう!」
 涼見姐さんの言うことは、もっともである。

「う~!」
 俺に持ち上げられた國吉は、不快になってきたのか身をよじり始めた。このままだと、落としてしまう。

「ね…姐さん、どうしよう。」
 焦った俺は姐さんに助けを求めた。
「夏越、抱っこ位まともに出来ぬのか。」
 姐さんは俺から國吉を受け取ると、國吉を優しく抱っこした。すると、國吉はキャッキャと声をあげて笑いだした。

「姐さん、抱っこ上手いね。」
「まぁ、年の功だな。」
 姐さんの本体のケヤキは、樹齢三百年である。

 俺は姐さんに抱っこの仕方を教わり、しぶしぶ社務所に向かった。
「ご…御免ください。」
 俺は、社務所の引き戸をそっと開けた。何だかふんわり良い匂いがした。

「はーい。ちょっとお待ち下さい。」
 明るい女性の声が社務所の奥から聞こえてきた。
 女性が苦手な俺は、緊張で変な汗をかき、心拍が早くなっていた。
「あーうー。」
 抱いている國吉の小さな手が俺の顔に触れた。どうやら、俺のことを心配してくれているらしい。
「國吉、心配してくれたのか?ありがとう。」
 俺は國吉の柔らかな頬を人差し指で優しく触れた。

「あら?國吉、外に出ちゃってたの?貴方が連れてきてくれたのね。どうもありがとう。」
 現れたのは、國吉の母親だった。年齢は俺と同じ位か、少し上に見える。

 母親。俺を冷たくあしらっていた義母が脳裏に浮かんだ。目の前の女性は、義母ではないと分かっているのに、どうも体が強ばってしまう。國吉を引き渡してこの場を早く離れよう。俺は抱いていた國吉をぎこちなく母親に差し出した。

 國吉の母親は、両腕で包み込むように息子を受け取った。子どもの重さから解放された俺の腕はだるくなっていた。

「親ってすごいな。こんなに重いのに、ずっと抱っこしてるんだから。」
 俺は心の内で呟いたつもりだった。

「ふふ、そうね。私も親になるまで、こんなに重いものをずっと抱えられるとは思わなかった。」
 反応が返ってきたので、俺は思いを声に出していたことに気付いて焦った。俺は、此処を立ち去るタイミングを失った。

「ねぇ、甘酒飲んでいって。國吉を連れてきてくれた御礼。今日は國吉の従妹が初節句だから、甘酒を温めていたの。」
 母親はいそいそと、社務所の奥に入っていった。

 そうか、この匂いは甘酒だったのか。女きょうだいのいない俺は、今日が雛祭りということに関心すら持っていなかった。

 俺の実家も古い家柄だったから、端午の節句は一族が集まっていた。しかしそれは形式だけだったし、弟が生まれてからは俺は不参加だった。

 この家は従妹の初節句を祝う位だ。きっと國吉も端午の節句の時は祝福されるだろう。幸せそうな光景を見て、俺は少し淋しさを覚えた。

 甘酒は紙コップに注がれ、お盆に乗せられ運ばれてきた。
「はい、どうぞ。本当は社務所に上がってほしいけど。」
「此処で、大丈夫です。」
 俺は甘酒を受け取ると、玄関に置かれた長椅子に座った。甘酒を飲むため、俺はマスクを外した。

「貴方、梅雨の時季の朝に紫陽花の森で綺麗な銀髪の女の子と一緒にいた人よね?」
 俺は甘酒を落としそうになった。銀髪の女の子とは、もちろん紫陽のことである。咄嗟の機転が利かない俺は、肯定も否定も出来ずにいた。

「二人ともすごく幸せそうだったから、印象に残っていたの。」

 紫陽のことを知っている人間がいた。そのことが俺を混乱させた。
 知らない人の前で感情を出すのは苦手な俺だが、思わず涙が溢れてしまった。

「すいません。急に泣いてしまって。」
 俺が謝ると國吉の母親が、
「私こそ、ごめんなさい。その袋の中の腹帯を見て、てっきり貴方と彼女は結ばれたと思ったから…。」
と頭を下げた。

 俺は、この人に言われて大事なことを思い出した。
 紫陽は「俺と一緒に生きる」ために、何処かで生まれ変わるのだと。

 夏至の日食の日、確かに俺は紫陽に「ずっと待っている」と誓ったのに。悲しみに心を蝕まれて、いつの間にか忘れてしまっていた。

「──今はもう会えないけど、彼女と約束したんです。『また会おう』って。別れが悲しすぎて忘れていたけど、思い出しました。」
「そうなの。また会えるようになると良いね。」
「……ありがとうございます。」

 二人の関係を肯定してもらえて嬉しかった。人間と精霊との恋は禁忌だったから。
 でも今度会うときには、人間同士だ。もう、禁じられた恋ではない。

 俺は程よく冷めた甘酒を飲み干し、國吉と母親に見送られて八幡宮を後にした。
 春の陽光のような暖かな出会いに、紫陽との再会を信じる勇気を得た。


 あれから2ヶ月半、八幡宮の腹帯の御利益もあってか、あおいさんのお腹の子どもは順調に大きくなっている。
 最近、この子が「女の子」だとカミングアウトされ、まさかこの子が紫陽なんじゃないかと期待してしまう自分がいる。
 そうだとしたら、柊司のことを「お義父さん」と呼ばなくてはいけないのか。それは嫌だ。

「ねぇ、夏越くん。今日は柊司くん早く帰ってくるから、久しぶりにウチで夕飯食べて行かない?」
 あおいさんの提言に俺は甘えることにした。

 以前は柊司に毎日夕食を作ってもらっていた俺だけど、今はほとんど自炊している。相変わらずカップ麺メインだけど、生野菜サラダとかほうれん草のおひたしなど簡単な付け合わせぐらいは作るようになった。

 時々アポなしで柊司がやって来て、「ちゃんと食ってるか?」と栄養チェックされる。どれだけ信用ないんだ、俺。
 紫陽が生まれ変わってきても、俺が健康を損なっていては彼女に申し訳ないだろう。

 玄関のチャイムが鳴った。
「ただいま~。」
 柊司がエコバッグを手に提げて帰ってきた。
「よう、夏越。夕飯作る前にシャワーひと浴びしてくるから、食材出しておいてくれないか?」
 柊司は俺にエコバッグを手渡すと、足早に風呂場に向かった。

「柊司くん、お腹の赤ちゃんの音を聞きたくてしょうがないのよ。」
 あおいさんがクスクス笑った。柊司もだんだん父親らしくなってきた。

「…夏越くん、お腹触ってみる?」
「え?」
 あおいさんが自分の大きなお腹を指差した。さすがに他所の男が、人妻の体に触るのは憚れる。

「この子も夏越くんに触ってほしいって言ってるわ。ね~!」
 無邪気に子どもに同意を求めるあおいさん。

「柊司くーん、夏越くんにお腹触ってもらっても良いわよね~。」
 とうとう風呂場の夫にまで同意を求めた。
「おう、好きなだけ触れ~!」
 夫の許可まで下りてしまったので、俺はあおいさんのお腹を触ることになってしまった。

 これ、本当に俺が触って大丈夫なのだろうか
?
 俺はあおいさんのお腹に手を伸ばした。しかし、あとちょっとのところで触るのを躊躇してしまう。

「夏越くん、大丈夫よ。怖くないわ。」
 あおいさんに促され、俺はようやくお腹に触ることが出来た。するとポコポコと元気よく動くのを感じた。

「あおいさん、動いた!」
「うん。私も感じたわ。」
 触る前はあんなに怖かったのに、今は不思議と温かな気持ちになっている。

「実はね、柊司くんがはじめて触った時は動きが止まったのよ。だから、やっぱりこの子夏越くんにとても懐くと思う。」
 あおいさんが優しくお腹を撫でた。

 俺を産んで亡くなった実母も、俺がお腹にいた時はこんな風に優しかったのだろうか。

 シャワーを浴び終えた柊司は、あおいさんのお腹にそそくさと向かい耳を当てた。大きな男が体を小さく丸くしているのが、少し滑稽にも見える。

「おお、今日も元気だな!」
 柊司は今の段階でかなりデレデレなのだが、子どもが生まれてきたら一体どうなってしまうのだろう。

「柊司くん、そろそろご飯お願い…。」
 あおいさんが言うと、柊司は我に返った。
「あ、すまん!夏越、手伝ってくれ。」

 柊司は大きめの鍋にお湯を張り火をかけている間に、小松菜をザクザク切っている。
「夏越、お湯が沸騰したらパスタを入れてくれ。」
 俺はパスタを熱湯に入れ、タイマーをかけた。
 柊司がパスタが茹で上がる直前に小松菜を入れた。そして茹で上がったものを、ニンニクを炒めて白ワインであさりを蒸していたフライパンに投入した。

「夏越、皿を取ってくれ。」
 俺が皿を差し出すと、柊司は手際よくあさりと小松菜のパスタを盛り付けた。
「あさりと小松菜は、カルシウムと鉄分が摂れるから、あおいだけでなく夏越にもぴったりだな。」
「柊司、一言多い。」
 でもあながち間違いではないのが悔しい。

 食事中、俺は薄々気になってたことを聞いてみた。
「なぁ、柊司。お前こんなに料理出来るのに、料理人になろうとは思わなかったのか?」
「あおい、夏越が俺に興味持ってくれた!」
 柊司が目を輝かせた。
「良かったね。柊司くん、夏越くんのこと大好きだものね。」
 俺って、そんなに他人に無関心に見えるのか。

「まあ、考えたことはあったな。でも料理人だと家族を持った時に時間がすれ違うから、今の定時に帰れる職場にしたんだ。」
 なるほど、料理人だと他人のオフの時間に奉仕する分、家族と団欒するのは難しいかもしれない。

「それに、あおいが俺の料理を『美味しい』って食べてくれるから充分幸せだし。」
「柊司くん…!」
見つめ合う二人の周りにハート乱舞の幻覚が見える。

「そういえば夏越、来年は就職するんだよな?」「就職か…。」
 俺が大学院に進学したのは、紫陽と長く過ごしたかったからである。
 彼女がいなくなってしまった今、就職の際この地に拘る必要はまったくない。だからといって、地元に帰る気は更々ない。

 大学進学の時は、実家さえ出られればそれで良かった。無関心な父親と冷淡な義母から離れたかった。
『高校を卒業したら、この家を出ていって。』
 義母の冷ややかな視線が、声が、フラッシュバックする。

「夏越くん?顔が青いけど、大丈夫?」
 あおいさんが俺を心配して顔を覗き込んでいる。
「…大丈夫。昨日徹夜でレポート書いていたから、疲れが出たかな。」
 俺は咄嗟に嘘をついた。実家のことは、誰にも触れられたくない話題だ。
「そうなの。じゃあ、夕飯食べたら帰ってゆっくりしてね。」
 
 今の言い訳をあおいさんは納得してくれたけど、勘のするどい柊司は訝しそうに聞いていた。

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