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【まとめ用】紫陽花の季節、君はいない 56〜66話

「──そうだ!あおいも夏越んちに来たことだし、一日遅れの誕生日パーティーでもしようぜ!!夏越、今日は日曜だから用事は無いよな?」
 柊司は俺に泣き顔を見せないように冷蔵庫にさっと行った。キッチンペーパーで目を拭き、昨日詩季さんからもらってきたコンポートとジュースをテーブルに出した。

「柊司、俺スーツをクリーニング出してくるついでに、コンビニでケーキ買ってくるよ」
 俺は就活で着たスーツの入った紙袋を手に、アパートの部屋を出た。

 外に出た途端、焼けるような日差しが俺に照りつけた。日焼け止めを塗るのを忘れてしまったので、頬がジリジリする。しかし、日差しより俺の心の方が熱くなっていた。紫陽……俺、ちゃんと柊司とあおいさんに本音を伝えられたよ。

 近所のクリーニング店にスーツを出した後、コンビニに向かっている途中、歩道の横にケーキ屋の案内看板が置いてあった。裏道にケーキ屋なんてあること、今まで気付かなかった。俺はコンビニに行くのをやめて、ケーキ屋に行くことにした。

「いらっしゃいませ」
 俺と同じ年頃の女性が元気に挨拶してくれた。半分以上顔が隠れていても分かるぐらいの、明るい笑顔である。俺は不思議と緊張せずにケーキを注文することが出来た。

 ケーキを箱に入れてもらっている間、かつて紫陽の誕生日を祝った記憶がないことに気づいた。
 精霊である彼女は、俺がはじめて八幡宮に参拝した日に生まれた。御朱印も拝受しているので、生まれた日も分かっている。あの頃は誕生日よりも、毎年彼女が眠りから覚め、「今年も会えたね」と再会を喜ぶことの方が大切だった。
 俺にとって自分の誕生日が実母の命日でもあるから、「祝う」という発想にならなかったというのもある。

「お待たせしました~!」
 店員さんがケーキの入った箱を差し出した。俺の意識は現実に引き戻された。
「ありがとうございます」
 俺はそれを受け取ると、柊司とあおいさんの元へ急いだ。

 俺はアパートの自分の部屋に帰った。
「……た、ただいま」
 何か違和感を感じると思ったら、俺はあまり「ただいま」を言ったことがない。
「おう、お帰り」
「お帰りなさい、夏越くん」
 柊司とあおいさんが玄関まで出迎えてくれた。

 キッチンのテーブルには、美味しそうな料理がズラリと並んでいた。
「お前んち材料少ないから、ウチの方から食材持ってきて作ったぞ」
 何故かふんぞり返る柊司。
 確かに俺の家の冷蔵庫は、最低限の野菜ぐらいしか入っていない。
「あおいさん、コンビニに向かう途中でケーキ屋を見つけたからそこで買ってきたよ。あおいさんの誕生日だから、あおいさん好きなの選んで」
 俺はケーキの入った箱を開けて、あおいさんに中が見えるようにした。
「夏越くん、ありがとう。私はこれにするわ」
 あおいさんが指差したのは、彼女のイメージにぴったりの苺が乗った真っ白なショートケーキだった。
「夏越、裏道にあるケーキ屋行ったのか。あそこのケーキ、旨いんだよな~。あっ、俺レアチーズケーキな」
 柊司はとっくにケーキ屋があることを知っていたのか。俺は残りのチョコレートケーキになった。

「夏越くん、早速プレゼントしてくれたバレッタ着けてみたわ」
 バレッタはあおいさんの髪の毛を華やかにまとめていた。
「おっ、似合うじゃないか!」
「柊司くん……」
 夫婦同士で見つめ合いが始まってしまった。

 誕生日パーティーは、とても盛り上がった。あおいさんも笑っていたし、柊司もその様子を見て嬉しそうだった。
 ただ、紫陽もこの場にいたら良かったのにと俺の心の奥底で燻る思いがあった。

 8月初旬、面接先から採用の連絡が来た。
 俺は真っ先にあおいさんに報告した。
「夏越くん、おめでとう」
 あおいさんはとても喜んでくれた。
「柊司とあおいさんが誕生日にくれたネクタイが、面接中に心の支えになったんだ。ありがとう」
 俺は心の底から感謝を伝えた。
 あおいさんは照れながら、
「夏越クンの努力もあったからよ」
と言った。
「今度は私も頑張るわね」
 あおいさんは、はち切れんばかりの大きさになったお腹を笑顔で撫でた。

 あおいさんの出産予定日は8月24日である。俺は平日は出来る限りあおいさんの補助をし、休日は柊司と赤ちゃん服やベビーカーなどを買いに行った。

「夏越、とうとう俺は父親になるんだなぁ」
 柊司は買い物帰りに寄ったファミレスで、コーヒーを飲みながら感慨深く呟いた。
「柊司、子煩悩になりそうだよな」
 俺がニヤニヤしていると、
「子煩悩上等だろ!!」
と柊司は鼻息を荒くした。
「妹の世話してたから大丈夫だと思ってたけど、自分の子どもだと思うと緊張するもんだな」
「そういうものなのか?」
「……ああ」
 柊司がこんな風に緊張しているのは、あおいさんに告白した時以来ではないだろうか。

「夏越、あおいには言うなよ?流石に緊張してるの知られるのは恥ずかしい……」
 柊司はテーブルに肘をついて、赤くなった顔を手で覆い隠した。
「言わないよ」
 大きな体格が小さく見えて、何だか可愛らしくなっている。
 柊司が顔を覆った指の間からこちらをじろっと見た。
「夏越こそ、うちの子にメロメロになるぞ」
「断言かよ」
 赤ちゃんにメロメロな俺なんて想像出来ない。

 俺はこないだ実家に就職先が決まったことを連絡した。家の固定電話にかけたので、まず家政婦さんが電話を受けた。(義母が電話に出る心配がないので、とてもありがたい)
 父に替わると、「……そうか、良かったな」とボソッと言った。そして大学院卒業までは仕送りを続けると事務的な話をして、父は電話を切った。
 電話が終わってから、俺はどっと疲れた。俺に無関心な父は、けっして向こうから連絡をしてこない。携帯電話を持っていることは知っているが、携帯の番号もメールアドレスも知らない。

 目の前で子煩悩宣言をした柊司は、俺の父とは真逆のタイプである。生まれてくる赤ちゃんも、惜しみない愛で育てるだろう。
 親に可愛がられたことのない俺は、はたして柊司とあおいさんの赤ちゃんを可愛がることが出来るのだろうか?

 8月半ば夕刻、ゲリラ豪雨が降った。
 柊司は仕事帰り、スマホを雨で水没させてしまった。柊司は雨の日でも傘を差さない主義である。
 スマホを壊したことをあおいさんに言うのが気まずいのか、びしょ濡れのまま柊司は俺の部屋にやって来た。

「だ~か~ら~、何でお前は傘を差さないんだよ!!」
 俺はシャワーを貸した後、柊司を質した。
「傘って手が塞がって嫌なんだよ。第一俺にはお前という傘がいるから普段は濡れないし」
 柊司は年甲斐もなくむくれている。
「俺は夏休みだからバス乗らないし、俺が就職したらバスの方向変わるんだから傘を持つ習慣つけろ。せめてレインコートを着ろ」
「レインコートは蒸し暑くて嫌なんだよ」
 俺がここまで注意するのは、柊司の子どもの出産予定日が近くなっているからだ。
「とりあえず、明日の朝スマホを修理に出してこい!!いいな!?」
 そう言って、俺は柊司を部屋から追い出した。

 俺は静かになった部屋で、コーヒーを飲み一息ついた。
「柊司はしっかりしているようで、変なところで頑固なんだよな……」
 今は柊司の職場と俺の通学先が同じバスである。しかし、俺の就職先のバスは反対方向なのだ。柊司の真似をして、子どもまで傘を差さない子になったら困る。

「──それにしても、俺は『江戸初期の藩主』に本当に縁があるな」
 思わずフッと笑ってしまった。

 江戸初期の藩主は、八幡宮ではない神社の精霊「梅さと」と恋仲だった。二人は結ばれることはなかったが、藩主はこの地域の神社の由緒書きに必ず登場する位の名君になった。
(彼は宗教を整理していたこともあり、八幡宮などは不遇な時代だったらしい)
 俺も精霊に恋をしたことで親近感を抱いていたけど、まさか就職先で彼の名前を見ることになるとは思ってもいなかった。

 こないだの面接の日。
 俺は面接まで時間があったので、敷地内をブラブラ散策していた。
 温室、広場、バラ園、池。小さいけれど、レストランもある。夏だから暑いけれど、居心地が良さそうな職場である。

 そろそろ面接に向かおうとした時、俺は見覚えのある名前を見つけた。
「え?何で江戸初期の藩主の名前がこんなところに?」
 俺が驚いていると、背後から声を掛けられた。
「こんにちは。ここのコーナーは藩主が民に推奨していた薬草が植えられているんですよ」
 振り返ると、物腰の柔らかい50代ぐらいの女性が立っていた。
「こ、こんにちは」
 俺は不意に話し掛けられてドキドキしたが、誕生日に柊司とあおいさんにもらったネクタイの結び目を触っているうちに落ち着いてきた。

「藩の歴史に興味があるの?」
 女性が聞いてきた。まさか「精霊が恋人」という共通点のことを話すわけにはいかない。俺はもっと根本の部分を話すことにした。
「俺がこの地域に来た時に、街の中を知りたくて神社巡りをしていたんです。そうしているうちに、同じ人物の名前が由緒書きに出てくることに気づいたんです。それがこの藩主だったんです。それが面白いなと思って、興味を持ったんです」
 そして神社を巡っているうちに、八幡宮で紫陽花の精霊である紫陽に出逢った。

「そうなの。名前が残るほどいろんなことに貢献したのよ。ある神社では御祭神にもなられているし。ここの土地も元々藩の御料牧場だったの」
「そうなんですね。それは知りませんでした。俺……実は今日ここに面接に来たんです。とても縁を感じるので、ここで働きたいです。そろそろ面接なので失礼します」
 俺がそう言うと、女性は「頑張ってね」と笑顔で見送ってくれた。

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さくらゆき
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