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【まとめ用】紫陽花の季節、君はいない 23〜33話

 部屋に帰ろうと玄関に行った時、柊司に呼び止められた。

「なあ、夏越。お前は悩みを溜め込む癖があるから俺は心配だ。前にも言ったけど、無理には聞かないけど話したくなったら俺は何時でも聞くからな。」
 やはり、柊司には勘付かれていた。
 俺は曖昧に笑顔を作って「ありがとう」と言って、自分の部屋に帰るしか出来なかった。

 深夜に雨が降ったからか、夢に紫陽が出てきた。
 八幡宮の満開の紫陽花の森。
 どしゃ降りの中、俺は彼女の名前を呼んだ。しかし彼女は俺のことが見えていないようだ。

「ねえ、彼女を死なせたのは誰?」
 聞き覚えのある氷のような声。
「貴方のせいで母親は死んだのに、懲りないわね。」
 そうだ、この声は義母だ。姿は見えない。

 紫陽のいる場所だけ雨が止み、光の柱がスポットライトのように彼女に当たった。
 紫陽が茅の輪……いや日食の輪をくぐろうとしている。
「くぐったら駄目だ、紫陽!消えてしまう!!」
 俺は彼女を引き留めようとして走ったものの、泥濘に足をとられ転倒した。泥だらけで彼女に向かって手を伸ばしたが、紫陽は消えてしまった。
 俺は夢の中でまた彼女を失ってしまった。

 俺は泥濘の中うずくまっていると、義母が俺に呪いの言葉を呟いた。
「貴方のお友達の奥さんや子どもは、無事で済むかしらね──」

 夜明け前、俺はひどい胸の締め付けと吐き気で目を覚ました。苦しくてもがいたので、シーツがぐしゃぐしゃになってしまっていた。

「……紫陽、紫陽。」
 すがるような気持ちで、彼女の名前を繰り返し呼んだ。頭の中でリフレインする義母の呪いの言葉を打ち消したかった。しかし、呼べば呼ぶ程呪いが心に刻まれていくようだった。

『貴方ノオ友達ノ奥サンヤ子ドモハ、無事デ済ムカシラネ──』

 これは夢だ。義母が実際に言った言葉ではない。だけど、実母も紫陽も俺のせいで死んでしまったのは事実だ。

 俺は疫病神なのだろうか?そうだとしたら、あおいさんが無事に子どもを出産するには、俺はいない方がいいのではないだろうか?


 俺は社会勉強の為のバイトと就職活動を始めた。俺はなるべく今住んでいるアパートから遠いところを選んで、面接に行った。柊司達に災厄を招く前に、此処から離れなければという一心だった。

 しかし、自分のコミュニケーションスキルが此処までポンコツだとは思わなかった。

 コンビニのバイトでは、仕事内容はすぐに覚えられたものの、女子高校生のバイト仲間に「トロトロやってんじゃねえ」と怒鳴られたり、客にプライベートをネチネチ聞かれたりして疲弊してしまい、すぐに辞めてしまった。

 水族館の警備のバイトでは、コンビニのように人間と関わることはないと思っていたのだけど、家族連れの人などに「○○の展示は何処?」と聞かれる度にしどろもどろになってしまい、結局辞めざるを得なくなってしまった。

 どんどん自信を無くしていくので、就職活動も上手くいくわけもなく、俺は途方にくれてしまった。

 実家を追い出されたものの、仕送りしてもらえていたのが、はじめて有り難いことだと思えた。

 そもそも、俺は自分のことを話すのが得意ではない。俺には趣味も特技もない。
「つまらない人間ね。」と義母に言われたこともある。
 誰も俺に興味など持たないし、俺も誰かに興味がない……はずだった。

『こんにちは!アナタ、毎日見かけるよ。私、アナタと友達になりたいな。』
 八幡宮で紫陽から俺に話し掛けてくれた。彼女を通してなら、つまらなかった世界も意味のある世界に思えた。
 紫陽花の精霊である彼女には、花の時季しか会えなかったけど、彼女が眠っている間のことを話すと喜んでくれた。

 柊司と出会ったのは、紫陽が眠ってしまったことを知らずに会えなくなった時だった。食欲が無くなり、隣人である柊司の部屋の玄関前で倒れてたのを助けてもらったのだ。
 それ以来、柊司とは友人になった。柊司の彼女だったあおいさんも、俺に良くしてくれる。

 紫陽がいなくなってしまった今、俺にはこの世で彼らが大切なのに。災厄が彼らにふりかかる前に、離れなければならないのに。自分がつまらない人間なせいで、就職すらままならない。


 6月21日。紫陽が消えてしまった日。
 眠れずにいた俺は、何かに取り憑かれたように日の出前に家を出た。雨は降っていないが、じめっとしている。ふらふらと歩いて辿り着いたのは、八幡宮の鳥居の前だった。
 此処までやって来たのに、境内に入るのは躊躇われた。

紫陽花ノ季節、ナノニ君ハイナイ。
分カッテイタノニ、来テシマッタ。

 鳥居の柱にもたれ掛かる形で俺は座り込んだ。
ろくに眠らずに歩き続けたからか、そのまま意識を失ってしまった。

 俺は気づけば闇に揺蕩っていた。不思議と居心地は良い。

 俺は世の中に必要とされていない。柊司達にも、生まれ変わってくる彼女にも会わせる顔がない。

ナラバ、イッソノコト──

 そう思った時、シャンと鈴の音が聞こえた。闇から俺は急に明るい場所に出たので、目が眩んでしまった。

 しばらくすると、明るさに目が慣れてきた。俺は鳥居の外にいたはずなのに、八幡宮内の随神門に立っていた。

「何か変だ。」
 この明るさはまるで昼間ではないか。それに、此処から見える拝殿の側の桜は花が咲いている。

 俺の後ろから、セーラー服を着た女の子が一人で歩いて来た。
「夏越クン──。」
 知らない女の子から俺の名前が出てきて、俺はドキッとした。しかし、彼女は俺を見ていない。俺と同じ名前の知り合いなのかもしれない。

 女の子は拝殿へと歩みを進めた。どうにも彼女のことが気になって、俺は参拝する体で後をつけた。

 彼女はニ礼ニ拍手して願いを呟いた。
「神様、どうか夏越クンと紫陽を再び会わせてください。お願いします。」
 彼女の顔は真剣そのものだった。彼女が願いを言い終えて一礼をした瞬間、拝殿の奥の鏡が強い光を放った。

 気付くと、俺は御涼所のケヤキの根元にもたれ掛かって座っていた。

「夏越、気がついたか。」
 今俺がもたれ掛かっているケヤキの精霊、涼見姐さんが眉間にしわをよせて、顔を覗き込んできた。

「姐さん……何で此処に?」
「それは此方の台詞だ。ギリギリ頭が鳥居の内側に傾いたから、私は本体の枝をへし折って、お前の体を境内に入れて此処まで運んでやったのだ。骨……いや枝が折れたわっ!!」
 姐さんが俺に対して不機嫌なのは通常運転だが、どうやら心配してくれていたらしい。俺の傍らには、折られて時間の経っていない太い枝が置いてあった。

「ごめん、姐さん。痛かっただろうに。」
 俺は姐さんの枝を撫でた。
「心配御無用。それより夏越、それを持ち帰れ。此処に置いていては朽ちるだけだが、家に置いておけば護身用にはなるだろう。」
 姐さんの表情は真剣そのものだ。

「どうして皆、俺を弱いもの扱いするかな……って、こんな所で気を失ってるからか。」
 俺は力無く笑った。

「夏越……お前、3月に此処に来たときよりも酷い顔をしているぞ。何があった?」
 姐さんは真っ直ぐに俺を見た。誤魔化しなどは通じないだろう。
「姐さんには叶わないな。話すよ。」
 俺は木にもたれ掛かっていた体を起こした。

「俺さ、夢で義理の母親に実の母親と紫陽が死んだのは俺のせいだって言われたんだ。」
 俺の言葉に姐さんの眉が微妙に動いた。しかし何も言わないので、俺は話を続けることにした。

「今度は俺のせいで、友人の奥さんと生まれてくる子どもも死ぬかもしれないって言われた。俺は疫病神なのかもしれない。だったら友人家族から離れなくちゃって、此処から遠い場所で就活していたんだけど……全然駄目で。俺は社会に必要とされていないんだ。俺がこんなんじゃ、生まれ変わってきた紫陽も支えられない。」
 俺は悔しさと不甲斐なさで涙が溢れて、それは腿の上で握り締めた拳に落ちた。

「夏越、お前……目の前の人間をきちんと見ていないのではないか?」
 思いがけない姐さんの指摘に、俺は顔をしかめた。

「何で見てもいないのに、そんなこと言えるんだ!」
 急に大声を出したので、頭がくらくらする。
「分かるさ。お前が先程から言っていることは、お前の妄言だからだ。お前の母親が儚くなったのも、紫陽が転生を選んだのもお前に責は無い。夢に見たのは、お前が抱いている『罪悪感』だ!お前は不安から、目の前にいる人間を遠ざけようとしているのだ。」
 姐さんに悉く図星を突かれた俺は、何も言えなかった。

「お前は社会に必要とされていないんじゃない。お前が『社会』と称して、一緒くたに目の前の人間を拒絶しているんだよ。」

「社会が俺を必要としていないのではなく、拒絶しているのは俺の方?」
「そうだ。お前だってはじめから警戒されている人間と関わりたくないだろう?」
 涼見姐さんは、ふうと溜め息をついた。

「──涼見、夏越殿に対して言葉が厳し過ぎますよ。」
 聞き覚えのある、穏やかな女性の声。
御葉ごよう様。」
 黄金色の髪の巫女姿をしているが、彼女はこの八幡宮で一番位の高い精霊である。

「御葉様、こやつにはこの位厳しく言わないと心に響かないのです。」
と言う姐さんの言葉に、
「夏越殿、そうなのですか?」
と真剣な顔で俺に聞いてくる御葉様。
「そんなことはない……はずです。」
 心に響き過ぎて、ズタズタである。

「夏越殿、貴方は邪気が増幅して心が弱っているみたいですね。今日はちょうど紫陽がいなくなって1年ですから仕方ないですが。夏越殿が闇に飲まれなくて、良かったです。」
 御葉様の手には鈴が握られている。さっきの鈴の音は、御葉様が鳴らしたのだ。

「闇。さっき気を失っていた時に見たあれか。
何だか妙に居心地が良かった。」
 俺はあの空間にずっと居ても良かったとすら思っていた。
 すると、涼見姐さんと御葉様の表情がみるみるうちに青ざめていった。

「夏越!お前、闇に飲まれるとは『消滅』すると同義なのだぞ!!」
 姐さんが俺の肩をガシッと掴んで俺を揺さぶった。そして、姐さんの目から涙が溢れていた。
「愚か……者。お前が消滅したら生まれ変わってくる紫陽はどうなる。私だって……お前が消滅なんて──」
 最後まで言わないうちに、姐さんは俺を突き放して、後ろを向いてしまった。

「夏越殿……涼見は言葉こそ厳しいですが、貴方をとても心配しているのですよ。勿論、私もです。どうかそのことに気づいてください。」
 御葉様も泣きそうなのを堪えているような顔をしている。

「二人とも、心配……かけてごめん。」
俺は心から二人に詫びた。

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