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【コラボ小説「ただよふ」番外編】陸《おか》で休む 3 (「澪標」シリーズより)


翌日から、僕はリハビリを始めた。次にあなたに会う時には、少しでも快方に向かっていたくて、必死に取り組んでいたら、「海宝さん、リハビリ初日ですから、そんなに焦らなくても良いですよ」と看護師に困惑されてしまった。

看護師が忙しく働いている姿を眺めていて、僕は小山の病院で働いているあなたに思いを馳せた。あなたになかなか会えない寂しさはあれど、弱っている患者にとってのあなたは、心強い存在に違いなく、そんなあなたを僕は誇らしく思った。

入院してから1週間、見舞いに来てくれたあなたは、何故か眉をひそめていた。僕は黒縁眼鏡をかけて体を起こし、理由を尋ねると、僕がここの病院の看護師に注目されているのが不快だと頬を膨らませていた。

「『はじめは気難しそうにこちらを見ていたけど、バイタルチェックが終わった時に見せてくれる笑顔が素敵なのよ』って、話しているのを聞いてしまって。航さんが私以外の女性に素敵な笑顔を見せているのかと思うと……」

「澪さん、それは嫉妬しているということですか?」

「……すいません。航さんが悪くないのは分かってはいるのですが」

30年近く前に付き合っていた時は、嫉妬をしていることを隠し通そうとしていたあなたが、素直に感情を露わにしていることが嬉しかった。

「澪さん、この病院の看護師が働いている姿を、小山にいるあなたに重ねていました。だから自然と笑みがこぼれてしまったのでしょう」

「……本当ですか?」
あなたが僕の方に身を乗り出してきた。

「僕が冗談でこんなことを言う人間ではないこと、あなたは知っているでしょう?」

「そうでした!」

やっと笑顔を見せてくれたあなたを、僕は両腕で抱き締めた。あなたの温もりと、ほのかに香る香水エルバヴェールが、僕を満たしていった。

「澪さん、僕が退院したらあなたの生活拠点である小山で暮らそうと思うのですが」

「航さんが小山に?私のアパートは狭いですが、それでも良ければ、是非一緒に暮らしましょう!」
あなたは僕の眼鏡を外すと、唇をそっと重ねた。


入院してから2週間後、僕は退院した。幸い、ほとんど脳梗塞の後遺症が残らずに済んだ。倒れてすぐに救急車を呼んでくれた息子と、適切な処置をしてくれた医療従事者、そして生きる気力を与えてくれたあなたに感謝の気持ちでいっぱいになった。

息子の家に帰ると、退院当日も仕事をしていたあなたに、無事に退院したことを報告した。画面の向こうのあなたは、仕事を優先したことを申し訳無さそうにしていた。僕は「看護師長という責任の重い役職なのですから、仕方ないですよ」と、あなたを宥めてから、通信を切断した。

僕は息子に、この家を出て小山に住むことを報告した。息子は顎に手を当てた。

「向こうに引っ越す前に、おばあちゃんと鈴木さんのご両親に挨拶しに行った方が良いんじゃない?再婚同士とはいえ……再婚同士だからこそ、大事だと思うよ?」

息子にとって、長年「おばあちゃん」は大阪に住んでいた母方の祖母だったが、息子が社会人になった頃に他界してしまった。祖父も亡くなると、息子は疎遠になっていた僕の母親と連絡を取り合うようになった。息子なりに、僕の母親と折り合いの良くなかった大阪の祖父母に気を遣ってきたのだった。

息子の提案に納得した僕は、早速横須賀の介護施設に住む母親に連絡を取った。2週間前に脳梗塞で倒れて入院していたことと、会社員時代に付き合っていた女性と再婚することを報告したら、90歳をとうに越えた人間とは思えない滑舌の良さで、僕は叱られてしまった。

「再婚することには反対しないけど、当時のあなたは実咲さんの火遊びに激怒して、自分には悪いところはないように振る舞っていたじゃない!それは許せることではないわ!」
真っ直ぐな性格の母親にとって、当時の僕の態度は卑怯だと思えたのだろう。

「……実咲さんには、申し訳なかったと思っている」
僕は沈んだ声で、亡くなった妻に詫びた。

「それに、お付き合いしていた女性に、妻と別れて一緒になるって約束しておいて、理由はどうあれ、反故ほごにしたことも最低だと思うわ!あなた、何様のつもりだったの?」
母親の言うことはもっともで、僕は何も言えなかった。

あまりに捲し立てるので、母親は体調を心配した介護施設のスタッフに宥められていた。母親は落ち着きを取り戻した。

「でもあちらと一緒になっていたら、航平を傷付けてしまったのよね。全てを知って、再婚まで許した航平はとても器の大きい子だと思うわ。いったい誰に似たのかしら?」

「……少なくとも、僕ではないね。彼女の都合のつく日に挨拶に行くから、宜しく頼むよ」

僕はあなたを会わせることに一抹の不安を感じつつ、通信を切断した。


澪さんの小山での仕事ぶりは、may_citrusさんの「東雲の幻」で読むことができます。


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さくらゆき
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