no music,no life

さく6 It's happy Wednesday.

no music,no lifeという格好良い言葉がある。
でもそれは日常的にレコードやCDを選び抜いて買い、繰り返し聞く事ができるような、大人のセリフだ。
CDレンタルが一般的になった頃に中学生だった私は、自分が何者なのかもわからず、従ってどんな音楽を選べばいいのかさえわからなかった。
けれども、CDをレンタルしてカセットテープに落とし、ラベルなどを手作りするような作業に憧れた私は、どうしてもCDを借りてみたかった。そこで思い出したのは、当時、学級の班内で回されていた交換日記だった。ちょうど好きな男の子と同じ班で、彼の日記(先生と班内で読まれるのを想定して、全員ある程度格好つけている)を読んだばかりだったのだ。彼は、やっぱり久保田利伸はいい、みたいなことを書いていた。だけど、私が久保田利伸聴いてみようかなとかなんとか書いた途端、次の週には彼はリック・アストリーはいい、という日記を書いていた。いや、それは恋は盲目では無くなった現在の私に言わせてよ。リック・アストリーは懐かしい。そしてやっぱり久保田利伸はいい。
今思えば、どう考えても格好つけてる日記だったが、当時の私にとっては大きなヒントだった。まずは久保田利伸を聴いてみよう。高校生になると、好きな人も変わり、今度は渡辺美里を聴いた。そのうちに久保田利伸のラジオを聴くようになり、ベイビーフェイスを聴いた。マライア・キャリーを聴いた。今度は初めて友人の影響で、B’zや岡村靖幸なんかを聴いた。そんな感じでだんだんと私は自分が何者であるかを自覚していったのである。
ここまで書いたら、幼少からの音楽体験についても書かねばなるまい。小学生当時、帰宅すると家の中に流れていたのは井上陽水だった。矢沢永吉だった。或いはラジオだった。全て母の趣味である。毎日毎日飽きもせずに陽水がかけられているので、全部歌えるようになった。残念ながら永ちゃんの英語力は身に付かなかった。何よりもまず、私は音痴だ。そんなこんながあって、音楽は理解しきるまで聴き続けるのが私には当たり前だった。賞味し、撫で摩り、味わって理解し、歌い、更に聴く。
学生時代が過ぎても同僚からL'Arc〜en〜Cielを薦められたりした。借りたMDを聴くだけ聴いて終わってしまったように記憶しているが、すごく好きだった。今でもラジオでかかったりすると懐かしい。
そのようにして今度はジャズにハマっていった。例によって好きな男絡みである。格好つけ代表のようなジャズではあるが、私はきちんと基本を聴いた。ソニー・クラーク、ビルエバンス、ジョン・コルトレーン。ジャズバーなんかにも行ったりした。ジャズと一口に言ってもジャンルが違うことにも初めて思い当たった。なんと、好きな男がジャズと言ったので基本を聴いていたのに、いざライブに一緒に行ったらジャンルが全く別で、ノリきれなかったのである。けれども好きなジャンルを聴き進んで行って、私はボサノヴァも好きなことがわかった。
ジャズを聴くと同時にクラシックが視界に入ってきて、私はやっぱり基本を聴いた。ベートーヴェンの月光。この頃はCDを買った。クラシックは安いということもあり、買いやすかった。エリック・サティ、モーツァルト、シューマン。そして隣の棚を覗いて、葉加瀬太郎を見つけた。クラシックを自分に寄せてきてしまう感じは、クラシックをただなぞっている曲よりずっと良かった。母と一緒によく聴いた。
友人からMDを贈られて大好きになるというパターンもあった。キリンジ。10年、20年近く聴き続けている。私は弟推しだったので馬の骨、堀込泰行と聴いてきている。ちなみに友人は兄推しだった。
そのうちに、夫となる人と出会い、一年ほど付き合って結婚したが、音楽の趣味については全くと言っていいほど話をしなかった。ジャズやクラシックも聴くよね〜、という程度だった。結婚後に小さな無料コンサートをふらっと聴きに入ったが、ふたりして撃沈。音楽が鳴り止むまで眠気が取れなかった。しばらくしてからやっとperfumeという共通の好きなアーティストを発見したが、それ以外はお互いの好きな曲が掛かっていても違和感が無いくらいで、特別に共に好きな歌手は見つけられていない。が、それほど困ってもいない。
現在は某サービスを利用してほぼ聴き放題になっているおかげで、新たに好きなアーティストを発掘できてとても楽しい。BrunoMars、Suchmos。やっぱりno music,no lifeとは真実だ。例え好きな男と好きなジャンルが一致しなくても。

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