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進化論:多産多死と少産少死はどちらが良いのか?

 生物の生存戦略としてはどうなのか?
 ほとんどの動物は多産多死です。例外は(現代先進国の)ヒトと大型動物(ゾウとクジラ)ぐらいじゃ無いですかね。

 ヒトは精神的に成熟するのに、極端に長時間の「育児(≑教育)」が必要です。だから「文明」が高度になると社会は少産少死に向かう傾向がある。
 しかし、これには前提があります。

 「どの個体も十分に教育すれば能力を身に付ける」です。これは人間の能力は学習で決まるという立場の考えです。

 しかし、それは自明ではない。生まれ持った素質で決まる可能性も高いのです。もしも素質で能力が決まるならば、「必要水準」の能力を持った個体を得るには、多産多死で「選抜」するしかない。

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 心情的にも道義的にも、優生思想は受け入れがたい。しかし、それは人類全体の能力を落とす危険がセットです。
 さて、どうしますかね?

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補足
 残念ながら、少産少死の文化では人間の能力は下がっているようです。特に日本。50年前ならば「特殊学級」に入っていた子供が、「普通学級」に入っています。そして「普通人」として社会に出ている。境界性人格障害、発達障害と呼ばれる人々です。
 この問題をどう扱うか。今の所、解答はありません。たぶん永遠に解答はないでしょう(注1)。

注1:これは「頑張る人々を応援しよう」という、ポエムな問題ではありません。人間の能力には、協調性、共感性といった社会生活に欠かせない物が含まれる。これがないと犯罪者になる。
 つまり「彼ら」を救えば、無関係な人が殺されるのです。それが冷酷な現実です。

 もう一点。「頑張る人を応援しましょう」は、人の情として当然あります。しかし、彼らの最大の問題の一つは「頑張らない」事なのです。
 人間は努力の先に報酬があると予測しなければ、努力しません。でも未来を想像する能力がない人がいる。かれらは今現在の快楽しか求めません。頑張らないのです。
 怠惰で無愛想で、好戦的で会話の成立しない人が大勢います。彼らを快く支援できますかという話になるのです。


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