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三国志の群雄⑨張魯

後漢末期、暴政をしいた董卓が暗殺された後、各地で群雄が割拠する様相を呈しました。袁紹、曹操、呂布、劉備、孫堅といった有名な武将が活躍するなか、長安の南方の地、漢中の地域には、張魯が率いる宗教勢力がありました。ここでは、張魯について説明します。

  • 生没年: 生年不詳 - 216年

  • : 公祺

  • 出身: 沛国豊県 (現在の江蘇省徐州市豊県)

  • 家系: 道教の創始者である張陵の孫

  • 官職: 漢中太守、鎮民中郎将、師君

  • 勢力範囲: 漢中 (現在の陝西省漢中市)

1.道教指導者としての活動
張魯は、祖父である張陵が創始した道教の一派である五斗米道の指導者として活動していました。五斗米道は、民衆に道教の教えを広め、病気を治療するなど、社会福祉的な活動も行っていました。

2.漢中太守就任
191年、張魯は漢中の太守に就任します。当時、漢中は劉焉の支配下にありましたが、張魯は劉焉の死後に漢中を独立させ、独自の勢力を築き上げます。

3.曹操との対立
215年、曹操が漢中攻略を開始します。張魯は曹操軍に抵抗しますが、敗北し、降伏します。その後、曹操によって洛陽に移送され、216年に病死します。

張魯の人物像

道教指導者としての側面
張魯は、道教指導者として民衆に信仰を集めていました。彼は、民衆に道徳を教え、病気を治療するなど、社会福祉的な活動も行っていました。

政治家としての側面
張魯は、政治家としても優れた能力を持っていました。彼は、漢中を安定させ、繁栄に導きました。

人物評価
張魯は、道教指導者、政治家として、漢中を統治した重要な人物です。しかし、曹操軍に敗北し、漢中を奪われることになりました。

張魯の功績

  • 五斗米道を広め、民衆に信仰を集めた

  • 漢中を安定させ、繁栄に導いた

  • 曹操軍の侵攻を一定期間阻止し、漢室の存続に貢献した

まとめ

張魯は、後漢末期の群雄割拠の時代において、漢中を統治した重要な人物です。道教指導者、政治家として、漢中を安定させ、繁栄に導きました。しかし、曹操軍に敗北し、漢中を奪われることになりました。

#三国志勉強ノート  No.52

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