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諸葛亮の北伐

三国時代の蜀漢による北伐は、諸葛亮が中心となって計画・実行した一連の軍事行動であり、蜀漢が魏を攻撃し、中原を奪取しようと試みたものです。これらの北伐は、正史『三国志』「蜀書」に記載されており、諸葛亮の伝で詳細に語られています。北伐の背景、目的、そしてその全体像について解説します。

北伐の背景

  • 政治的目的: 蜀漢の北伐は、三国鼎立の状況下で蜀漢が中原の地を奪取し、漢王朝の再統一を目指すために行われました。蜀漢の立場から見れば、この軍事行動は漢王朝の正統性を回復し、天下を統一するための正当な戦いでした。

  • 諸葛亮の野望: 諸葛亮は劉備から蜀漢の運命を託されており、劉備の遺志を継いで中原の奪取と漢の再統一を目指しました。諸葛亮は蜀漢の政治と軍事の両面で中心的な役割を果たし、北伐を主導しました。

  • 蜀漢の内政安定: 諸葛亮は内政を安定させ、軍事力を増強した上で北伐を開始しました。農業の発展や人材の育成などにより、蜀漢は北伐を行うための物資と人材を確保しました。

北伐の全体像

諸葛亮は224年から234年にかけて、合計五度にわたる北伐を行いました。これらの北伐は以下のような特徴があります。

  1. 第一次北伐(224年 - 225年): 諸葛亮は魏の長安を目指しましたが、主要な戦闘には至らず、戦略的な撤退を選択しました。

  2. 第二次北伐(228年): 祁山を攻撃しましたが、魏の司馬懿による堅固な防御に遭遇し、大きな成果を上げることはできませんでした。

  3. 第三次北伐(229年): 再び祁山を攻撃しましたが、食糧不足などの問題に直面し、成功には至りませんでした。

  4. 第四次北伐(231年): 祁山での戦いで、魏軍と幾度か衝突しましたが、決定的な勝利を得ることはできず、撤退しました。

  5. 第五次北伐(234年): 諸葛亮自らが軍を率いて五丈原で魏軍と対峙しましたが、この北伐中に諸葛亮は病死しました。この北伐も大きな成果を挙げることはできませんでした。

北伐の結果と影響

諸葛亮の北伐は、いずれも魏

を倒すという最終目的を達成することはできませんでした。しかし、これらの北伐は蜀漢の勇気と決意を示すものであり、諸葛亮の軍事的・政治的才能を象徴する出来事として記憶されています。北伐は蜀漢の資源を大きく消耗させましたが、諸葛亮の死後も蜀漢はさらに数十年間存続しました。北伐は三国時代の歴史において重要な位置を占め、その戦略と目的、そしてその苦難に満ちた過程は、後世に多大な影響を与えました。

#三国志勉強ノート  No.87

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