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孫氏三代による呉の基盤形成

呉の建国は、孫堅、孫策、そして孫権という親子三代の事績を踏まえて理解することができます。三国時代の騒乱の中で、彼らは江東地域で勢力を築き上げ、最終的には呉を建国しました。ここでは、それぞれの主な事績を正史『三国志』に基づいて説明します。

孫堅の活躍

孫堅は、後漢末期の群雄の一人として登場します。彼は勇猛果敢な将軍であり、黄巾の乱の鎮圧に貢献しました。その後、反董卓連合に参加し、江東(現在の江蘇省南部から浙江省にかけての地域)への基盤を築く初期段階で重要な役割を果たしました。孫堅は赤壁の戦い以前に亡くなりますが、彼の活躍は後に息子たちによって呉の基盤を築く土台となりました。

孫策の江東統一

孫堅の死後、孫策は兄弟の孫静と共に江東を掌握し始めます。孫策は特に、袁術の支援を受けながら、江東の諸侯を次々と打ち破り、この地域を統一しました。孫策の統治下で、江東は経済的にも軍事的にも強大な勢力に成長し、孫家の基盤が確立されます。孫策は若くして亡くなりましたが、彼のカリスマと政治的、軍事的才能は、後の呉の基盤を強固なものにしました。

孫権の呉の建国

孫権は孫策の後を継ぎ、更に江東の統治を強化しました。孫権の時代には、赤壁の戦いでの勝利など、呉の歴史における重要な出来事が数多くあります。赤壁の戦いでは、劉備と同盟を結び、曹操の南下を阻止しました。これにより孫権は江南地域での自身の地位を不動のものとし、222年には自らを呉王と称し、229年には更に皇帝に即位し、呉を建国しました。孫権の治世は、呉の政治、経済、文化の全盛期とされ、その統治は約半世紀にわたりました。

孫堅から孫策、そして孫権へと続く親子三代による活躍は、後漢末期から三国時代にかけての激動の時代において、江東地域での一大勢力の形成と、最終的には国家の建国に繋がりました。彼らの政治的見識、軍事的才能、そして地域社会との関係構築が、呉の基盤を築く上で決定的な役割を果たしました。

#三国志勉強ノート  No.103

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