見出し画像

十常侍という宦官集団

歴史書の三国志には、十常侍という宦官集団についての具体的な記述はありませんが、この時期に中常侍として影響力を持っていた宦官の一人である曹騰についての記述があります。曹騰は、曹操の祖父であり、桓帝の時代に中常侍大長秋として封費亭侯に封じられました。その養子である曹嵩は太尉まで昇進しましたが、その生い立ちについては詳しく記されていません。曹嵩から曹操が生まれ、その後、曹操は三国志の時代において重要な役割を果たします。

十常侍とは

十常侍は、後漢末期に宮廷内で権力を握った宦官集団です。彼らは皇帝の側近として、後漢朝の末期における政治の実権を握り、皇帝や朝廷に大きな影響を及ぼしました。

影響力の拡大

  1. 皇帝の側近としての立場: 宦官は元々、皇帝の側近としての役割を果たしていましたが、徐々にその立場を利用して政治に介入し、権力を拡大しました。

  2. 機密に通じる立場の利用: 宦官たちは皇帝の信頼を得て、機密文書にアクセスできる立場を利用して、自らの権力を確固たるものにしました。

  3. 外戚との関係: 宦官たちは外戚、特に皇后の一族との関係を深め、彼らとの連携を通じて権力を拡大しました。

権力の乱用と社会への影響

  1. 政治への介入: 十常侍は皇帝に代わって政治を行うことが多くなり、朝政に深く関与しました。これにより、朝廷内部の汚職や贈賄が横行するようになりました。

  2. 争いの引き起こし: 彼らの権力争いは朝廷内の派閥対立を引き起こし、これが社会の不安定化を招きました。

  3. 反感の蓄積: 宦官たちの横暴な振る舞いは、士族や一般民衆からの反感を買い、後漢王朝末期の反乱や内乱の一因となりました。

十常侍と黄巾の乱

  1. 黄巾の乱の背景: 十常侍の横暴は、朝廷や地方政府の腐敗を進行させ、社会の矛盾を顕在化させました。このような状況が、黄巾の乱という大規模な民衆反乱の一因となりました。

  2. 反乱の鎮圧とその後: 黄巾の乱は、一時的に鎮圧されましたが、この反乱をきっかけに、宦官に対する一般民衆や士族の反感はさらに強まりました。

十常侍の終焉とその後の影響

  1. 宦官の粛清: 皇帝や朝廷内の有力者による宦官の粛清が行われましたが、この過程での内紛や戦乱は後漢王朝のさらなる混乱を招きました。

  2. 三国時代への移行: 宦官の粛清後も、後漢朝の政治的基盤は揺らぎ続け、最終的には曹操、孫権、劉備による三国時代へと移行しました。十常侍の存在とその行動は、この歴史的転換期の重要な要素となりました。

このように、十常侍は後漢王朝末期の政治的混乱において重要な要素となり、その権力の乱用は三国時代への移行期における一因となりました。彼らの行動は、中国史上における宦官の力のピークであり、その後の歴史に多大な影響を与えました。

#三国志勉強ノート  No.32

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?