見出し画像

三国志の群雄③公孫瓚

後漢末期、董卓暗殺後の群雄割拠の時代において、公孫瓚は幽州を拠点にして自身の勢力を確立し、拡大していきました。ここでは、群雄割拠の時期における公孫瓚の支配勢力について説明します。

  1. 幽州の支配の確立(190年頃)

    • 公孫瓚は元々、幽州(現在の北京市周辺や遼寧省一帯)の出身で、地元での強い支持基盤を持っていました。董卓の暴政に反対する反董卓連合に参加し、この期間に幽州での自身の勢力を確立しました。

  2. 袁紹との対立(193年~199年)

    • 公孫瓚は北中国の覇権を巡って袁紹と対立しました。袁紹は隣接する冀州を拠点にしており、二人の間で激しい争いが発生しました。公孫瓚は自身の勢力を守るため、複数回にわたって袁紹の侵攻を防ぎましたが、199年に敗れて、公孫勢力は消滅し、幽州は袁紹の支配下となりました。

公孫瓚の活動は、北中国における群雄割拠の様相を示すものであり、彼の勢力の変遷は後漢末期から三国時代にかけての政治状況を理解する上で重要な要素です。

#三国志勉強ノート  No.46

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?