蜀の五虎将軍ー関羽 張飛 趙雲 馬超 黄忠
正史『三国志』において、蜀の「五虎将軍」や「五虎大将」などという具体的な表現は使われていません。この用語は後世、特に小説『三国志演義』などにおいて、蜀漢を代表する五人の勇将を指すのに使われるようになりました。しかし、正史に基づいて、『三国志』に記録されている蜀漢の主要な将軍たちの功績を振り返ることは可能です。『三国志演義』で言及される五虎将は以下の通りですが、ここではそれに類似する正史に記された人物について説明します。
関羽(雲長)
劉備の義弟で、勇猛さと義に厚い性格で知られています。『漢中王春秋』などの記録によると、彼は曹操に対する忠義を示し、荊州での統治などで名声を高めました。しかし、最終的には孫権の将軍呂蒙に敗れ、斬られました。
張飛(翼徳)
劉備の義弟であり、その剛勇で知られています。正史では、彼は数々の戦いで勇猛さを発揮しましたが、劉備の死後、彼の部下によって暗殺されました。
趙雲(子龍)
趙雲は劉備に早期から仕え、特に長坂橋での劉備の子どもを守りながらの撤退戦で知られています。『三国志』蜀書によると、彼は劉備、劉禅の下で多くの戦いに参加し、蜀漢のために尽力しました。
馬超(孟起)
馬超は最初は反曹勢力の一員として名を馳せましたが、後に劉備に帰順します。『三国志』蜀書に記される彼の活躍は、特に蜀漢のための戦いで顕著です。
黄忠(漢升)
黄忠は高齢ながらも蜀漢のために多大な貢献をしたことで知られています。彼は特に漢中の戦いでの活躍で名声を博しました。
これらの将軍たちは、蜀漢の軍事的な基盤を支え、数々の戦いで重要な役割を果たしました。『三国志演義』での「五虎将」の物語は、これらの将軍たちの実際の功績をもとに、後世に大きく脚色されて伝えられるようになりました。正史『三国志』では、それぞれの将軍の具体的な活躍が詳細に記述されており、三国時代の歴史を深く理解するための重要な情報源となっています。
#三国志勉強ノート No.84
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