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MBTI:外向性・内向性とは何か(4)―—ロジャースの自己概念理論を巡る状況―—

■はじめに

 MBTIあるいは16パターン性格診断の「外向性・内向性」がユングのタイプ論のそれとは異なると感じられた。そこで日本のユング心理学者の泰斗であった河合隼雄の論文を参照し、ユング心理学における外向性の「外」あるいは内向性の「内」とは何を指しているのか確認しようとした。すなわち、行動療法・フロイト派心理療法・ロジャース派心理療法・ユング派心理療法のアプローチ対象および治療の目的を理解することで、それぞれに対する河合の「外的/内的」の判断の着目する部分を知り、ユング心理学における「外」「内」の概念内容を具体的に把握しようと試みた。

 行動療法とフロイト派心理療法については確認が終了し、ロジャース派に取り掛かったのだが、ロジャース派を巡る状況が混乱している事に気づいた。進路指導・キャリアカウンセリング・婚活カウンセリング等の身近なカウンセリングを実施する人達が用いているロジャース派のカウンセリング技法(カウンセリング三原則など)やロジャース派っぽい心の理論によって、非専門家の間でロジャース派カウンセリングに関する誤認があるようなのだ。専門家やロジャース派―—来談者中心療法≒非指示的カウンセリング―—を巡る学史的理解がある人、あるいはロジャースの自己概念理論をロジャース派本来の形で理解している人なら別だと思うのだが、ロジャース派本来の自己概念理論とはかなり異なる通俗的理解での自己概念理論がロジャース派自己概念理論と認識されているようなのだ。

 本稿では、そのあたりの状況についてと当該シリーズ記事との関係に関する注意を述べることにする。


■ロジャース派を見ていく前の準備作業

 先に触れたよう、ロジャース派の心理療法に関して専門家ではない人間にとって少々分かりづらい状況にある。それというのも、ロジャース派心理療法が適応するケースは基本的には程度があまり酷くないケースであり、健常な状態の人に実施されるカウンセリングのケースとの差異が分かり難い。その上、ロジャース派の技法やロジャース派の心の理論を用いるものの、健常者に実施される身近なロジャース派ではないカウンセリングが存在するのだ。そのため、あまり詳しくない人間がそのカウンセリングをロジャース派のカウンセリングと誤認してしまう実情がある。

 困ったことに、ロジャース派と誤認しがちな身近なカウンセリングに関して、そのアプローチの対象は「外的」であり、目的もまた「外的」である。それゆえ、誤認したままだと図2の第3象限にロジャース派が位置づけられていることがわからなくなってしまう。

 したがって、ロジャース派カウンセリングは別に健常者対象のみのカウンセリングでないこと同時に、心理療法としては行動療法ほどハードなケースを扱えないことを確認する。また、ロジャース派と誤認しがちな身近なカウンセリングを詳しく見ることで、先にそれらはロジャース派カウンセリングではないことを示しておく。


■ロジャース派(及びユング派)と行動療法との違いのイメージ

 ロジャース派心理療法=来談者中心療法(あるいはクライエント中心療法)が生まれたのは、創始者のロジャースが従来のカウンセリング理論に限界を感じたからとされる。非行少年や恵まれない環境の子ども達にカウンセリングを実施した際にカウンセリングが完了して状態が一時的に改善したかのように見えても再び非行行為を繰り返す様子を目の当たりにした体験から、新たな心理療法の必要性を痛感したようだ。

 シリーズの始めに以下のように述べたが、上述のロジャース派心理療法誕生の経緯から理解できるように、必ずしもハードケースがロジャース派心理療法の適用外になるわけではない。

行動療法の対象の精神トラブルは日常生活において支障が生じているレベルの精神トラブルも扱うものである一方、ロジャース派やユング派が対象とする精神トラブルは日常生活をおくる上では然したる支障がない。もちろん、ロジャース派やユング派が適応的な対象も慢性的な問題として患者自身および周囲の人間にとって大きな問題となっていることもある。

「外向性・内向性とは何か(1);4つの心理療法の位置づけ」 丸い三角 note記事  

 とはいえ、ハードケースにロジャース派心理療法を用いるには行動療法を用いるカウンセラーよりも遥かに高い技量が必要なのではないかと思われる。なぜなら、行動療法が直接的に問題行動を矯正するのに対して、ロジャース派心理療法は来談者(≒患者)の人間的成長を図ることで問題行動が解消されることを目指すからである。

 身体的な病気治療に擬えて言えば、行動療法が外科的治療や投薬治療に当たるのに対して、ロジャース派心理療法は健康指導によって健康を回復させ自然治癒力で病気快癒を目指すようなものだ。もちろん、健康体になることで病気にならないようになることが根本的な意味では望ましいのと同様に、健全な精神となることで精神トラブルを発生させなくなることが根本的な意味では望ましい。しかし、余りにも迂遠なやり方であり、状態悪化のスピードよりも状態改善のスピードの方が速くなるような治療は余程卓越したカウンセラーでなければ難しいだろう。

 ハードケースに対してロジャース派心理療法で対処することは、おそらく短期的には難しく、またカウンセラーの技量面で実効的であるケースもまた少数になるではないかと思われる。それゆえ、ロジャース派カウンセリングの対象者は精神的な健康でいえば健康な人間に近く、そのことで主に健康な人間に実施されるカウンセリング、すなわち進路指導・キャリアカウンセリング・結婚カウンセリングなどのカウンセリングとの違いが、専門家ではない人間には分かり難くなっていると思われる。


■ロジャース派心理療法のテクニックを用いていてもロジャース派とは限らない

 ロジャース派心理療法が生み出したテクニックは、患者(≒来談者)のカウンセラーへの強い信頼―—ラポール――を生み出す。生粋のロジャース派心理療法家であれば、自分に対する患者(≒来談者)のラポールを、患者の人間的成長を患者自身が行うための土壌にするだけである。それというのも、ロジャース派心理療法の治療メカニズムはあくまでも「患者の自発的な人間的成長による問題解決」だからだ。

 しかし、生粋のロジャース派心理療法家でなければ、ロジャース派心理療法が生み出したテクニックによって獲得したラポールを、指導や指示に利用してしまう。かつて非指示的療法とも呼ばれたロジャース派心理療法とは異なり、他の心理療法においては指導や指示をすることは治療メカニズムの根幹には関わらない。

 また、ラポールが形成されたとき指導や指示の効果が非常に高くなる。想像してみて欲しい。ラポールが形成された状態というものは相手に対する信頼が高い状態なのだ。人間というものは強い信頼がある相手の言うことにはホイホイ従ってしまう(ただし、そのこと自体には是非はない。悪意の無い相手ならば阿吽の呼吸で行動できることは寧ろ望ましい状態だとも言える)。ラポールが形成された状態は、他の心理療法から見ると治療効果が高くなっている状態である。

 そんなラポールが形成された状態をつくり出せるロジャース派心理療法のテクニックを、指導・指示によって心理治療を行うカウンセラーが活用しないなんてことはない。そんな便利なテクニックがあるなら活用するのは当然だろう。

 実際に、ロジャースが提唱したカウンセリング三原則―—純粋性(自己一致)・無条件の肯定的配慮・共感的理解―—は、どの流派のカウンセラーであっても共通の基本的態度とされている。したがって、少なくないカウンセラーに関して、ロジャース派心理療法が生み出したテクニックを用いていたとしても、ロジャース派心理療法の治療メカニズムによって治療しているわけではないのだ。このことには注意が必要である。


■ロジャース派っぽい通俗的理解の人間観

 別稿で詳しく取り上げようと思うが、この通俗的理解の自己概念理論もまた、自分の心に関する考え方―—人間観―—としてみるとかなり説明力の高い枠組みなのだ。そのことが認識の混乱に拍車をかけている。なんといっても、分かり易く説明力が高くて文学作品でも取り上げられるような人間観なのだ。一般人からすればその通俗的理解の人間観から健全な精神を十分に養うことができるほどである。

 しかし、どれだけ人間の心に対する説明力が高く妥当なモデルであっても、当然ながらそれはロジャース派の自己概念理論ではない。それゆえ、ロジャース派の自己概念理論を簡単にでも説明しておく必要を感じた。同時に通俗的理解の人間観もまたどのようなものか別途示しておくべきであると思われる。


■余談:ロジャースの自己概念理論を用いたユングの元型論の解説の可能性と今後の予定

 話は変わるが、このシリーズ記事を書くにあたってロジャースおよびユングを読み直してビックリしたことがある。それは、ユングの元型論がロジャースの自己概念理論でかなり説明できるのだ。

 今回読み直しをするまで、ユングの元型の概念―—シャドウ・アニマ・アニムス・老賢人・グレートマザーといった概念―—は半ばオカルトのように感じていた。心理現象や精神に対する納得の為の神話的説明だろうと評価していたのである。いわゆる「雷は神様が怒っているから生じる現象だよ」という神話を、昔の人が発生メカニズムが分からないために生じる雷への不安を打ち消すための道具としていたのと同様、ユングの創作した「心理現象について不安がっている人々のために用いる安心を齎す道具」なのだろうと考えていたという訳だ。すなわち、「理解できないことから生じる不安」を打ち消すための神話的説明としてユングの元型論を理解していたのである。

 ところが、今回の読み直しによって「ユングの元型の○○は、ロジャースの自己概念理論でいうと△△に相当する」といった解釈ができることに気づいたのである。

 もちろん、「そんな解釈は心理学の専門家の間では当然すでに存在していますが?」というものかもしれない。しかし、心理学は学生時代に一時熱中したものの私の専門分野ではない。また、note記事という発表媒体は、学術論文のような専門家の責任が生じるような発表媒体ではない。気楽な立場・媒体で自分の思い付きを語ることのできるnoteで、私が感じる興奮を語りたい。何の気なしに木の皮を剝がしたらオオクワガタが居たような気分である。

 学術的に妥当な解釈として発表するためには、いくつもの論文を下敷きにして慎重に検討しなければならない。しかし、私は心理学に関しては学生時代に趣味で熱中したせいでちょっとだけ詳しい素人に過ぎない。だから少々無責任ではあるのだが、ユングとロジャースの関係についての思い付きを別稿で語っていきたいと思う。

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