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〈怯え〉に気づいた日

仕事をはじめたむすこが、毎朝「行きたくない、行きたくない」と言います。再就職2年目の私も、毎朝  手足が冷えて、間に合わないことばかり思ってしまって。
気は 重くなり、手足がうごかず
「大変やなぁ」「うん」
「何やろなぁ、これは」「なんやろな」

毎朝、言い合って。


あるとき、息子が言ったのです。
「怯えやな」って。


「これは怯えや」って。
「それやん!  すごいな、じぶん。」

と、母である私は
めちゃ若者言葉で言ってしまった。

私の場合は、親の老いだとか
自身の病歴や 体調。仕事からくる責任感。
求められることが なかなか達成できない 焦り、罪悪感。
こんな難しい仕事、手を出さなきゃよかった、という後悔まで。

その根っこを、きゅうっとつかんで  放さない
〈怯え〉が ありました。

もちろん、むすこは 彼自身のことを
言ったのですが。


「失敗、こわいよな。
 私も なかなか 覚えられへんよ」
「ええやん」
「また 明日かぁ」
「あしたやナ」

合言葉のように、眠りのまえには
こんな声を 交わします。


⭐    ⭐    ⭐


就いた職種は、まったくちがいますが、
まぁ、くだらないことを だらだらと喋りながら
少しずつ、たがいの顔をみたり、見なかったり。
声をきいては 返事をしたり、
しなかったり

そんな暮らしをしています。


写真は、雨の府民ホール。
石畳がきれいでした。

平日に 半日の休みを お願いし、観劇。


カンタータ集『カルミナ・ブラーナ』を踊る!
求める苦しみや歓びが えがかれます


作品にも ゆかりある文豪の名前の コーヒーを
ロビーの喫茶コーナーで


イメージしたことを
伝えたり
形にしたり
その すべてのことが 表現。

だとすれば、表現は
家や 職場でも
たった一人のときにも
おこなわれていて。

ふと 気づけば 更新されていたりして。

きょうという 一日も、表現なんだな。