ブーケのようなご褒美を ep.すみれの過去

 私の父親は酒癖の悪い人だった。母親の話では私が生まれるまではお酒が入った時に暴言を吐く程度だったらしいのだが、母親が私のことを気にするのが何か気に障ったらしく、ことあるたびに母親に殴る蹴るの暴行を繰り返した。

 私はいつも母親の後ろで守って貰っていたのを覚えている。母親はいつも全部耐えた後に私の方を向いて大丈夫だからね、と呟いた。

 実際に私は暴行を加えられたとこはない。でもいつも暴言は吐かれていた。

 生まれなければよかった。なんで生まれたんだ。死ねばいい。散々な言い様。

 でも手を出されることはなかった。ある時までは。

 そのある時というのは、母親の浮気が父親にバレた時。母親は他の男の人に助けを求めて、そしてそのまま不倫関係になったのだ。

 その日の父親の荒れようは凄かった。

 死ねばいいと暴言を吐きながら包丁を振り回したのだ。母親は軽く腹を刺された。必死に助けを呼んだのを覚えている。

 でも私の小さな手で守れる物など何もなくて、母親の不倫なんて分かりっこなくて。必死に迫ってくる父親の手から逃れる。あっけなく捕まって包丁は使われなかったけど、殴られて蹴られて、不倫女の子供。俺の子じゃない。と言い続けた。

 結局、母親の不倫相手が警察を呼んでくれていたらしく、父親は警察に取り押さえられた。

 母親は一命を取り留めたし、私も助かった。その時の感情をよく覚えていない。

 でも、警察に連行されていく父親と、救急車に運び込まれる母親。そして赤いサイレンの光。それだけはいつまでも覚えている。


 その後母親は不倫相手と再婚して幸せそうだった。

 再婚相手も私を本当のわが子のように扱ってくれた。きっとはたから見たら幸せそうな家庭になれてたんだと思う。

 でも私からしたら今まで守ってくれていた人が、母親が急に女になるのが気持ち悪かった。再婚相手の前で見せる女の顔。まるで私は蚊帳の外だ。

 家にいると吐き気が襲ってきて家に居たくなくて帰るのが遅くなる日が続いた。

 外にいても今家では2人が男と女として楽しんでいるのかと思うと何とも言えない気持ち悪さがこみ上げてきた。母親がまったく知らない人になってしまった感覚。それは私がどこにいても呪いのように付きまとってきて、物凄く苦しかった。

 出ていきたかったけどまだ中学生だった私が1人暮らしするわけにもいかなかった。そんな経済力もなかったから。

 けど、私には一筋光があった。それがおばあちゃん。

 私は高校進学と共におばあちゃんの家に住みたいと母親にお願いした。あっさり許可が降りた。母親は顔には出さなかったけど、私に出ていってほしかったのは容易に想像できる。

 私はおばあちゃんの家から毎日高校に通った。その暮らしは私の呪いを溶かしていき、本当に幸せがこれだと思った。心の底から。

 色んな事も学んだ。料理の仕方、お花のこと。きっとおばあちゃんは私が母親に頼らなくても1人でも生きていけるようにと色々教えてくれたのだろう。

 でも、いつまでもおばあちゃんのお世話になるわけにも行かないので、高校卒業後は就職して1人暮らしをし始めた。

 おばあちゃんは私にいつ戻ってきてもいいからね、と言ってくれた。

 これからはおばあちゃんへの恩を返せるようにしようと意気込んだ社会人生活。現実はそんなに優しくなくて。

 毎日のように飛んでくる上司からの怒号。

 私は父親の事もあって男性、特に大柄な男性には特に委縮してしまい、言いたいことが言えなかった。そのせいで上司のストレス発散のいいカモになったわけだ。

 そんな私のおかげで部署の先輩たちは自分たちにその怒号が降りかからない。だから自分たちのミスは全部私のせいにした。

 それを見かねて助けてくれたのが別部署の先輩だった。

 いつものように怒鳴られていると、それ、モラハラですよ?と助けてくれたのだ。もちろん上司も反論した。けど先輩がじゃあこの録音を世間に出しても問題ないですよね?とボイスレコーダーを上司に見せると、ようやく上司はおとなしくなってくれた。

 そんな風に助けられた私がその人に惚れない訳がなくほどなくしてお付き合いし始めた。でもこれがよくなかった。この先輩は女性人気が高かったのだ。恨みを買い、さんざん陰口を言われた。

 でも耐えられた。先輩がいたから。先輩が本気で私を愛してくれていたから。いつも私を優先してくれて、とっても優しかった。

 でも、この時に不自然な所に気が付くべきだったのだ、私は。先輩は絶対に休日に会ってくれないし、泊まることもしなかった。いつもどんなに遅くても家に帰っていった。それが唯一の不満だった。

 そんな幸せは長く続かなくて、ある日、私は先輩と初めて外でデートをした。物凄く幸せで、道行く人に私だって普通の恋愛が出来るんだって胸を張って自慢したいくらいだった。

 テラス席でお昼ご飯を食べていた時、突然知らない女性が怒鳴り込んできた。先輩の胸ぐらを掴んで、父親のような暴言を先輩に投げつけていた。

 今度は私が守らなきゃ、そう思った。今まで母親が私を守ってくれていたように。先輩と女性の間に入って、先輩を守ろうとした。

 でも、女性から告げられたのは、自分が先輩の妻だと言うのだ。まさかとは思っていたが、私が先輩に迫ると先輩はあっさり家庭があることを認めた。

 女性は私を罵った。私はそれを受け入れた。そうすることしか出来なかった。

 女性が警察に抑えられて先輩と2人になった後、先輩は悪びれた様子もなくまだ夜の関係を続けたいと申し出た。私は先輩に自分の母親を重ねた。気持ち悪いと思った。この時に二度と誘いに乗らないと心に誓った。

 先輩の後ろ盾を失い、私はまた上司の怒号に耐える日々、そして女性の陰口に耐える日々が続いた。

 私は転職ということは考えなかった。だって、こんな私を採用してくれる所なんかないと上司に言われ続け、それを信じ切っていたのだ。

 いつの間にか、後輩にも仕事も押し付けられるようになっていた。定時になんか上がれるはずもなく、毎日残業。終わった仕事には文句を付けられ、席を離れると陰口。そんな毎日。

 おばあちゃんの家に帰りたかった。ただいまと言えばおかえりと優しく微笑んでくれるおばあちゃんの元に。でもそれは出来なかった。終電で帰る毎日。朝は誰より早く行って仕事を始めないと終わらない量。家に帰れない時もあった。

 心が辟易しているのが自分でも分かった。

 そしてとどめを指すように届いた、おばあちゃんが倒れたという話。上司の怒りの言葉なんか耳に入らず急いでおばあちゃんの病院に急いだ。診断は急性心筋梗塞。発症から発見までに時間がかかってしまった為か、助かる見込みは少ないと医者に言われた。

 私がまだおばあちゃんと住んでいたら、毎日残業なんてしなければ、もう少しおばあちゃんの様子を見に行けば。そんな想いが心を占めた。

 結論、おばあちゃんは助からなかった。

 仕事に行く気にもならず部屋で何もせずぼんやりと過ごしていたら大家さん、キヨさんが私を訪ねて来たのだ。

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