おくのほそ道 英訳〈夏編2〉    平泉・尾花沢・越後路

おくのほそ道に詠まれた松尾芭蕉の有名な句を、英訳してみました。順不動、思いつくままの気まま旅です。

by SAKURAnoG

参考文献 「新版おくのほそ道」角川ソフィア文庫  松尾芭蕉 潁原退蔵 尾形仂

5.平泉

五月雨の 降り残してや 光堂

The seasonal long rain of June
May have failed to fall
Onto The Golden Hall

五月雨は梅雨の雨のことで、夏の季語です。
“The seasonal long rain of June”としました。和英辞書には、“early summer rain” (新和英中辞典 第4版 研究社) とありますが、これは梅雨の雨を説明しているだけで、間違いではないのですがこの句の訳には使えません。この句でなぜ「五月雨」なのかわからないからです。
五月雨とは、いつ果てるともなくダラダラと続く雨。カビを生じ、あらゆる物を朽ちさせていく雨です。
つまり、この句には「梅雨の雨にも朽ちずに耐えて、500年もよく保ったものよ」といった感慨が込められているので、「毎年この季節になると降る長雨(seasonal long rain of June)」といった表現としました。
僕の経験では、“early summer rain”というと欧米人、特に欧州の人は、シャワーのようなさらっとした、すぐに止む軽い雨を想像すると思います。“early summer rain”はこの句には使えないと言った理由です。

”fall”と”Hall”で韻を踏んでいます。

「降り残す」は、少し迷いました。どの程度五月雨の「意思」を入れたらいいのか、わからなかったからです。
恐れ多くて避けたのか、たまたま偶然「降り残し」たのか?
意思の強い順に、‘dare not’か、‘avoid’か、‘fail’なのか、‘forget’なのか? 皆さんはどう感じられますか? 
英語からの逆引きで考えてみました。3句の稚拙さはご容赦ください。
”dare not”   ⇒ 五月雨の 避けて残すや  光堂
”avoid”       ⇒    五月雨の 避けて降るらむ 光堂
” ? ”  ⇒     五月雨の 降り残してや  光堂
”forget”   ⇒     五月雨の 降り忘れてや  光堂

僕は「降り残す」の「残す」に五月雨の「避けて降る」意図を感じられなかったので、最終的に「fail」(残したくはなかったけど、降り残してしまった) としました。
例えば「僕は、今日の仕事をやり残してしまった」というと、やむなく残してしまった、ということですよね。
「降り残してや」と疑問形になっているところは、「must have」とせずに「may have」でカバーしたつもりです。
光堂とは金色堂のこと。

「珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃空虚の叢となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎ、しばらく千歳の記念とはなれり」

6.尾花沢

  眉掃を 俤にして 紅粉の花
(まゆはきを おもかげにして べにのはな)

Safflower blossoms
Flowering to look like their future partner
Mayuhaki (a mini makeup brush)

紅の花は、夏の季語です。古くは末摘花と呼ばれていました。この句は、芭蕉の句には珍しく女性が使う「眉掃」や口紅等の原料となる「紅花」が登場し、たおやかで女性らしい雰囲気を醸し出しています。
紅花から採った紅は、江戸時代には、女性の高価なお化粧道具の一つとして珍重されたようです。口紅はもとより頬紅やアイラインにも使われていたみたいですね。
「紅粉(べに)」とは粉末状の紅という意味だと思われますが、これは大陸から渡ってきた唐紅で、日本の紅は紅花から抽出した液状の染料を紅板等に塗って乾燥させ、使うときはそれを水で溶いて使っていました。江戸時代には直接指で塗ったりしていたようです。ここでは「紅粉」は、単に「べに」と読んで「最上紅(もがみべに)」のことを指していると思われます。
眉掃も、多分ここでは紅を塗る道具としてではなく、単なるお化粧道具の一つとして、紅花の形からの連想で用いられていると思われます。
「俤にして」は、紅花の花の形(アザミに似た形をしています)が眉掃を想像させることから来たものでしょう。

画像1

紅花を詠んだ次の句なども、ちょっと艶っぽいシーンを描き出しています。

行く末は誰が肌ふれむ紅の花      【「西華集」芭蕉】

Safflower blossoms
To be processed into rouge
I wonder whose skin
You someday are going to touch

7.越後路

荒海や 佐渡に横たふ 天の河

The Milky Way
Hanging over Sadogashima Island far beyond
The rough sea
Expanding before my eyes

「酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙々の思ひ胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば、越後の地に歩行を改めて、越中の国市振の関に到る」

七夕の句です。年に一度の逢瀬を楽しむ牽牛織女の天の河を見ながら、芭蕉はその昔流罪に処せられた貴人・偉人たちの望郷の念、無念を偲んで、「魂しほれ腸ちぎれて」と書き残しています。佐渡を遠望する日本海の大自然を17文字で見事に表現したこの句にはまた、行間に秘められた「覚えず袂をぬらして、草の枕も定兼たり」(「新版おくのほそ道」角川ソフィア文庫 p222)という芭蕉の思いが込められている。

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