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COFFEE BREAK:「エリーゼのために」

~「エリーゼのために」ではない「エリーゼのために」~


バラ2

こんにちは。SAKURAnoGです。
英語の楽しさ、奥深さを発信する「英語のトリビア」を投稿しています。
今回は、かの有名な楽曲「エリーゼのために」を、タイトルの意味だけから掘り下げて、ベートーベンの心理にまで迫ろう?という試みです。

目次
1.「エリーゼのために」というのは どういう意味なのか?
2.「エリーゼ」は誰だったのか? 
いまだに議論が分かれる「謎」
2-1.ルートヴィッヒ・ノール
2-2.マックス・ウンガー
2-3.クラウス・コーピッツ
2-4.リータ・シュテープリン          
2-5.ミヒャエル・ローレンツ
2-6. 謎は解けるのか? 筆者はこう考えます
3.「For Elise」はベートーベンのラブレターだった?
4.タイトルからベートーベンの「想い」に迫る
 
1.「エリーゼのために」というのは どういう意味なのか?
「エリーゼのために」(原題:Für Elise)というのは、1867年に出版されたベートーベンの楽曲です。この曲は、ベートーベンの死後約40年経ってLudwig Nohl(ルートヴィッヒ・ノール)という音楽学者によって発見され、楽譜には次のようなベートーベン自筆の書き込みがありました(ノールのコメントより、別紙1)。
 
(原文)" Für Elise am 27 April zur Erinnerung von L. v. Bthvn "
(英訳)"For Elise on April 27 in memory from L. v. Bthvn" 
(和訳)(エリーゼへ 4月27日 [君を] 偲んで ベートーベンより)
まずは、タイトルの意味からお話を始めていきましょう。この曲のタイトルは「エリーゼのために」(For Elise)と訳されていますが、本当にそれでいいのでしょうか? 多くの人がこの「エリーゼのために」という訳に惑わされて、ベートーベンがこのタイトルで私達視聴者に「エリーゼのために(作曲しました)」と語っている、と誤解しています。確かにエリーゼのために作曲したというのは間違ってはいないのですが、このタイトルには、もっと違ったベートーベンの熱い「想い」が詰まっているのです。
もともとは、ベートーベンの原譜にはタイトルは付いておらず、上記の書き込みがあっただけです。従って「For Elise」というタイトルは後年楽譜として出版された時に、この書き込みを基に付けられたものです。タイトルの意味は上にも書きましたが、「エリーゼのために」ではなく「エリーゼへ」なのです。これはベートーベンが「きみへのプレゼントだよ」と「エリーゼへ」プレゼントした曲なのです。単独のこの「For Elise」が「エリーゼのために」という意味になることは、100%ありえません。
「エリーゼのために」と「エリーゼへ」で何がどう違うのか、後で詳しく述べますが、この曲をプレゼントしたベートーベンの立場に立ってみると、よくわかっていただけるのではないかと思います。
 
つまり、繰り返しになりますが、「For Elise」は「エリーゼのために(作曲した)」と言う意味ではなく、「エリーゼへ(あげる)」と言う意味なのです。 読者の皆さんは「大した違いはないじゃないか」と思われるかもしれませんね。でも、この一言を「エリーゼへあげる」と理解することで、ベートーベンのその時の思いが、ひしひしと伝わってくるだけでなく、ひいてはそのプレゼントの相手が誰だったかを判定する重要な決め手になってくるのです。
 
どうしてそう言えるのか、そしてこれを書いたときのベートーベンの想いとは、何だったのか、これから探っていきたいと思います。
 
2.「エリーゼ」は誰だったのか? いまだに議論が分かれる「謎」
この「For Elise」の「エリーゼ」が誰だったのかは、学者の間でもいろいろ意見が分かれ、未だに決着がついていません。実は発見者のノール は、この楽曲に関しては、ほんの8行程度のコメントしか残していません(別紙、1)。しかし、この、ほんの数行がのちに大きな議論を呼び、論争に発展することになるのです。
 
まず、Max Unger(マックス・ウンガー)が1925年、Musical Quarterly Vol.11に
「ベートーベンとテレーゼ・マルファッティ(Beethoven and Therese von Malfatti)」と題した小論を発表し、その中で「エリーゼ」は「テレーゼ・マルファッティ」であると主張しました。その根拠は、一言でいえば楽譜発見者ノールが、本曲に添えた8行のコメントの中で「このピアノ小曲は、元をたどればテレーゼ・フォン・ドロースディック[ 旧姓マルファッティ] 夫人の遺品から見つかったものである」と書き残したことによるものです。
 
上記のウンガーの説は、長らく世の中に受け入れられてきましたが、2010年Klaus Martin Kopitz(クラウス・マルティン・コーピッツ) が、その小論(注)のなかで「エリーザべット・レッケル(Elisabeth Röckel)」説を唱えて、話題を呼びました。
また、2014年Rita Steblin(リータ・シュテープリン)が「エリーゼ・バーレンスフェルト(Elise Barensfeld)」説を発表するなど、エリーゼの正体について、当初のベートーベン自筆の原本が紛失していることもあり、諸説紛々、といった状態です。また、Michael Lorenz(ミヒャエル・ローレンツ) は、あっと驚く自説を発表しています。
 
(注)「Beethoven, Elisabeth Röckel und das Albumblatt “Für Elise”」(Kopitz 2010)
 
ベートーベンの想いに迫るには、この「エリーゼの正体」を特定することが不可欠と思われますので、それぞれの説を簡単に紹介して筆者の考えを述べたいと思います。
なお、読者の皆さんにも一緒に考えていただきたいので、少し長くなりますが、筆者の意見も含め、それぞれの主張をできるだけ中立的な立場から述べていこうと思います。
 
2-1.ルートヴィッヒ・ノール
まず、楽譜の発見者Ludwig Nohl(ルートヴィッヒ・ノール)ですが、彼ははっきりとこう言っています「それ(訳者注:「エリーゼのために」の楽譜)は実際、テレーゼのために*書かれたものではなく、楽譜には(次のような)ベートーベンの手による書き込みが付いている:
「エリーゼへ**4月27日(君を)想って ベートーベンより(下記注)」
つまり、「エリーゼ」って書いてあるじゃないか!だから「テレーゼ」のために書かれたんじゃないよ、と言っているのです。単純明快です。
 
(下記注)この「ベートーベンより」(von L. v. Bthvn)の訳については、後述「3.タイトルからベートーベンの『想い』に迫る」で少し補足しました。
*(別紙、注3)
**(別紙、注4)
 
2-2.マックス・ウンガー
次に、「テレーゼ・マルファッティ」説を唱えるMax Unger(マックス・ウンガー)ですが、この楽譜が彼女の所有物であったことから、「エリーゼ」は「テレーゼ」であるといった、一見矛盾する説を主張しています。「一見」といったのは、彼は、発見者のノールが「Therese」と書いてあるのを「Elise」と読み違えたのではないか、と考えるからです。
ウンガーは次のように語っています。(Ungar, 1925)
「この『For Elise』が作曲された1810年は、ベートーベンとマルファッティ家との交流がもっとも盛んだった年であり、何よりもベートーベンの自筆のスコアがテレーゼ・マルファッティ本人の書類の中から発見されているのだ。これをどう考えたらいいのだろうか?おそらくは、発見者のノールが書き込みの宛名を読み違えたのだろう。 ドイツ語(の筆記体)で書かれた『Therese』が『Elise』に酷似しているということは、ベートーベンの悪筆を考えれば、容易に想像できるだろう」(筆者要約)
ドイツ人であるウンガーが「酷似している」(bear a striking resemblance)というのは、やはりかなり説得力があると思われます。
繰り返しになりますが、「For Elise」というのは、「エリーゼのために」ではなく「エリーゼ/テレーゼへ(プレセントの常套句)」であることを考慮すれば、ウンガーの主張が抵抗なく理解できるのではないでしょうか。
 
しかし、これに対する反論もあります。ノールも音楽学者ですから、「テレーゼ」の所有物の中に「エリーゼへ」と書かれた楽譜があったことに、大いに違和感を覚えたはずで、何度もこの書き込みが「テレーゼ」と書いてあるのではないかと精査したはずです。Kopitz (コーピッツ、THE MUSICAL TIMES, Winter2020) は「ノールほどの学者が読み違えるはずがない」とウンガーの説を批判しています。また、「エリーゼ」と「テレーゼ」について「ベートーベンのいくつかの筆跡を比べてみても、[両者には一見してかなりの違いが認められる](Jürgen May 2014からの引用)」とも言っています。
 
2-3.クラウス・コーピッツ
さて、そのKlaus Martin Kopitz(クラウス・マルティン・コーピッツ)ですが、「エリーゼ」は「Elisabeth Röckel」(エリーザベット・レッケル) だったと主張しています。彼は、上記論文(Kopitz 2010)の中で:
1. マックス・ウンガーの説をしりぞけ、
2. 「Elise」にあてはまる要件を4つあげ、
そこから、必然的にエリーザベット・レッケルにたどり着く、と主張します。(別紙、注5、注6)
このコーピッツの論旨については、後述のミヒャエル・ローレンツが厳しく批判しています。(別紙、注7)
コーピッツはその中で面白いことを言っているので、ご紹介します。
「文字合わせ(筆者が勝手に付けた呼称)」の手法により、「エリーゼのために」の出だしが「E()()S E」となっている。
「文字合わせ」というのは、音階(ドレミファソラシド)の呼称(C、D、E、F、G、A、B)で人名を表すことで、「エリーゼのために」は「E、D#、E、D#、E、B」で始まりますが、4番目の「D#」は音階的には「E♭」(ドイツ語で「エス」)と同じなので「S」と読み替えると、標記のようになる、というものです。正確にいえば「E-L-I-S-E」のうち「E-()-()-S(=D#)-E」を使ってこの曲のモチーフを得たということです。これについての筆者の意見は、別紙注5をご覧ください。
このコーピッツのエリーザベット・レッケル説については、後記2-6. でもう一度触れます。
 
2-4.リータ・シュテープリン
次が、Rita Steblin(リータ・シュテープリン)の「エリーゼ・バーレンスフェルト(Elise Barensfeld)」説なのですが、残念ながらこの稿については、オンライン版が入手できなかったので、筆者は目を通していません。なので、残念ですが今回は考慮の対象から外すこととしました。
次のMichael Lorenz(ミヒャエル・ローレンツ)は、このリータの説をこっぴどくこき下ろしています。(別紙、注8)
 
2-5.ミヒャエル・ローレンツ
そのMichael Lorenz(ミヒャエル・ローレンツ)ですが、彼は「Josef Rudolf Schachner(ヨーゼフ・ルドルフ・シャハナー) 改ざん」説(呼称は筆者命名)を主張しています。ヨーゼフ・ルドルフ・シャハナーというのは、テレーゼ・マルファッティの友人で、ルートヴィッヒ・ノールが楽譜の提供を受けた「Babette Bredl」の息子です。 彼は、テレーゼ・マルファッティから、遺言でマホガニー製のピアノと彼女が所有していたベートーベンの全楽曲を譲渡された人物です(Michael Lorenz, Blog 2013)。彼はピアニストであり作曲家でもありました。彼の妻の名は「Elise」で娘も「Elise」でした。
ローレンツは、ベートーベンの楽譜には、最初「Für Elise」という言葉は書いてなかったと言います。つまり「“am 27 April zur Erinnerung von L. v. Bthvn”(4月27日(君を)偲んで ベートーベンより)」とあったのを、妻かもしくは娘へのプレゼントとして、ずっと後に「Für Elise」(エリーゼへ)と書き加えたというのです。ローレンツは、「奇妙に思えるかもしれないが、このシナリオはこれまでに発表された誤った2人の候補者の説よりも、マシだろう」と自画自賛しています。(別紙、注9)
 
以上が、「エリーゼ」の正体についての仮説になります。ここで、一旦、各仮説を整理してみましょう。
 
1.Ludwig Nohl   「Therese Malfatti以外のだれか」説
2.Max Unger    「Therese Malfatti」説
3.Klaus Martin Kopitz 「Elisabeth Röckel」説
4.Rita Steblin     「Elise Barensfeld」説
5.Michael Lorenz  「Rudolf Schachner 改ざん」説 
 
2-6. 謎は解けるのか? 筆者はこう考えます
ところで皆さん、実はここで一番重要な「矛盾」についての、大切な議論が抜け落ちていることにお気づきでしょうか?
もし、ベートーベンの書き込みが「エリーゼへ」と読めたのであれば、おかしいと思いませんか? 楽譜をプレゼントされたテレーゼ・マルファッティはどう思ったでしょう? 「先生、『エリーゼへ』ってなんですか?私は『テレーゼ』よ!『エリーゼへ』って書くんだったら、エリーゼさんにあげたら!失礼だわ、こんなのいらない!」ってなりませんか?少なくとも「テレーゼへ」と書き直してもらうか、一旦受け取ったとしても、死ぬまでずっと他人の名前が書かれた楽譜を大事に持っていたりするでしょうか? ベートーベンだってテレーゼに「エリーゼへ」と書いた楽譜をプレゼントするほど、そんなに無粋じゃなかったはずです。
 
この疑問に対する答えは、次の4つのうちのどれかであると思われます。
1.書き込みが、当時の人(少なくともテレーゼ)には「テレーゼ」と読めた
2.ベートーベンがプレゼントするときに「ねえ、テレーゼ、字ぃ汚いけど、ここに書いたのこれ、テレーゼって書いたのよね。受け取ってくれる?」といって渡した。
3.「エリーゼ」なる人物が、この楽譜を何らかの理由で「テレーゼ」にあげた(後述コーピッツの説)
4.「エリーゼへ」の部分が最初は書かれておらず、後年になって誰かが「エリーゼへ」と書き足した(上記ローレンツの説)
 
つまり、ベートーベンの「書き込み」があるオリジナルの楽譜が失われた今、書かれていたであろう筆跡を云々したり、エリーゼかテレーゼかが不明なままで、だれそれがエリーゼと呼ばれていたとかを議論しても、意味がないとは言いませんが、決め手にはならないということです。
筆者が「For Elise」の「For」の意味にこだわる理由は、まさにここにあるのです。 この書き込みは、プレゼントの相手を想定して書かれたものです。だから当然の帰結として、当時この楽譜を受け取った人物が「Elise」であったはずです。そして、その人物がそれを誰かに譲らない限りは、ずっと持ち続けていることになります。
 
つまり、こういうことではないでしょうか。
「テレーゼ/エリーゼへ(君にあげる)」と書かれたスコアがテレーゼ本人の書類から見つかったという、この動かぬ状況証拠がある以上、「Elise」はテレーゼ・マルファッティであると考えるのが、今現在では最も常識的で妥当な結論だと思われます。テレーゼ・マルファッティが「エリーゼ/テレーゼへ」と題された楽譜を持っていたというこの事実は、上に述べたどの論者も否定していません。
 
もし、「Therese」が宛名の「Elise」ではないと主張するのであれば、誰が「エリーゼ」なのかを議論するだけでなく、どうして「エリーゼ/テレーゼへ」と書かれた楽譜をテレーゼ・マルファッティが持っていたのかを、証拠を添えて明確に説明すべきです。
 
実は、この説明に困った「エリーザベット・レッケル説」を唱えるコーピッツは、レッケルが(ベートーベンからもらった)楽譜を、なんと、テレーゼ・マルファッティに貸し与えて、返してとは言わなかったのだ、というありそうもない苦し紛れの議論を展開しています。(Kopitz, 2020)
筆者は、この時点ですでにコーピッツの仮説は破綻していると考えます。なぜなら、いみじくもコーピッツ自身が述べているように(同左)、レッケルはベートーベンを敬愛しており、死の3日前に彼を訪れたレッケルは、ベートーベンの髪を一房切って持ち帰り、自宅に飾ったほどのベートーベン崇拝者だったのです。そんなレッケルが、ベートーベンが自分のために書いてくれた(と仮定して)楽譜を、そうやすやすと他人に貸す(しかも取り戻さなかった)でしょうか?そんな訳がないというのが理由です。前出のローレンツも同様のことを言っています。
 
長い議論になりましたが、皆さんは、どう考えられますでしょうか?
筆者は以上の考察から、「ベートーベンがこの曲をプレゼントした相手は、テレーゼ・マルファッティである」と考え、その仮説に基づいて、話を進めていきたいと思います。
 
3.「For Elise」はベートーベンのラブレターだった?
スコアに書かれたベートーベンの書き込みをもう一度見てください。
 
(原文)" Für Elise am 27 April zur Erinnerung von L. v. Bthvn "(別紙注10)
(英訳)"For Elise on April 27 in memory from L. v. Bthvn" 
(和訳)(エリーゼへ 4月27日 [君を] 偲んで ベートーベンより)
(別紙、注11)
 
「エリーゼのために」という訳との違いがわかりますでしょうか? このタイトルは、「この曲を『エリーゼのために』作曲しました」と言っているのではなく、愛するエリーゼに直接「エリーゼ(テレーゼ)へ 君にあげる)」と言っているのです。これは、このスコアが初めて発見された状況を勘案すれば、非常に大きな意味を持ってくるのです。
しかも「in memory」([君を]想って/偲んで)*とあれば、もうこのタイトルは短いラブレター、愛の告白。はっちゃけて言うと「テレーゼ、今でも君が好きだよ。君のことが頭から離れないんだ。だからこの曲をプレゼントするよ」なのです。言ってみれば、この曲自体が音楽のラブレターなのです。あえて言えば、音楽を聴かなくてもこのタイトルを読んだだけで、この曲がもうすでに想いを綴ったラブレターだということがわかるでしょう。
 
このタイトルを書いたベートーベンのテレーゼへの想いは、「エリーゼのために」「思い出に」といった一般的な訳から想起されるよりも遥かに直接的で、熱いのです。
 
*「in memory (zur Erinnerung)」は「記念に、思い出に」といった意味もあるのですが、筆者は「偲んで、想って」と訳します。「in memory (of )」というのは、「誰々を偲んで」とか「誰々の思い出に」といった文脈で、普通は亡くなった人への追悼として使われます。しかし、ここでは今夢中になっている愛する人への言葉なので、「(君を)思い出しながら」「(君を)想って/偲んで」と解釈するのが、妥当だと思われます。「思い出に」と訳すと、お別れ、もう会えないかも、といった後ろ向きのイメージを感じてしまい、筆者は少し違うと思っています。
 
3.タイトルからベートーベンの「想い」に迫る
この楽曲が創られた1810年春というのはまさにベートーベンとテレーゼ・マルファッティとの関係を語る上で、極めて重要な時期になります。それは正にベートーベンがテレーゼにプロポーズをしたと思われる年でもあるからです。この4月から5月にかけては、もう「君に首ったけ」状態だったと思われます。ただし、熱烈だったのはベートーベンだけで、肝心のテレーゼはというと、かなりつれない態度だったようです。
唯一現存するベートーベンからテレーゼ宛の手紙には、ベートーベンの断ち切れない想いが綴られています。ウンガーは、ある根拠のもとに、この手紙が書かれた日を1810年4月の終わりから5月の初めと推定しています。正に、「For Elise」が完成したのと同時期になります。
それでは、この手紙の内容を踏まえて、スコアのタイトルに込められたベートーベンの想いに迫っていきましょう。
 
テレーゼ・マルファッティは、1792年ウイーンに生まれました。ベートーベンとの縁はベートーベンの友人Ignaz von Gleichenstein(イグナツ・フォン・グライヒェンシュタイン)を通してベートーベンとマルファッティ家との交際が始まった1809年の暮頃に始まります。テレーゼ17歳の頃です。この時、ベートーベン39歳。
ところが、早くも翌年の春にはベートーベンは、テレーゼとの結婚を真剣に考えるようになっていきます。マックス・ウンガーによれば、1810年5月にはベートーベンの「マルファッティ結婚プロジェクト」が始動していたようです。彼が5月に書いた友人のWegeler(ヴェゲラー)宛の手紙には、いくらかかってもいいからとにかく自分の洗礼証明を取ってほしいと頼んでいます。結婚を前提にしてのことだと思われます。(下記注)
 
(下記注)ベートーベンは、1770年12月17日に洗礼を受けています。これが、当時の生年月日の証明書 [戸籍] ということでしょうか。
 
ベートーベンがテレーゼにあてて書いた手紙が唯一、一通だけ現存しています。(先に述べたように、ウンガー(Ungar, 1925)は書かれた時期を、正に「エリーゼのために」が完成した1810年4月末近く、もしくは5月初めと推定しています)その中で、ベートーベンはこう言っています。
「僕の生活は、とても寂しく静かです。君たち一家が行ってしまってからは、埋めることのできないうつろな空間があります。僕の作曲技術を持ってしても、それは忘れ去ることができないものです」
べートーベンは、このようにも言っています。「君の家(訳者注:引越先と思われます)の近くに、たまたま僕の知り合いが住んでいます。 たとえば、午前中の早い時間に行けば、30分ほど会ってくれますよね。できるだけ、君を退屈させないようにしたいと思っています。」
つまり、この時期は、まだ君に首ったけ状態なんです。手紙の後半には、「さようなら、すてきなテレーゼ(Fare you well, respected Therese)」と書いてあるのですが、これは「お元気でね」という程度の別れの言葉で、手紙の内容からして「もう会えなくなったから、これでお別れだね」というような言葉では、決してないのです。この後には、未練がましく「僕のことを忘れないでね(Bear me in memory(別紙、注12)」とも言っています。
 
次に、音楽の観点からこの楽曲を見てみましょう。ベートーベンのテレーゼへの切なくも熱い想いが見えてきます。
この曲は、(A-B-A-C-A)というロンド形式で書かれています。主題部A(ミ・レ#・ミ・レ#・ミ・シで始まる出だし)はイ短調でベートーベンのロマンティックで切ない「想い」、次の23小節目(別紙、注13)から始まるエピソードBは、一転ハ長調でテレーゼと会った時のウキウキするような弾む心を、59小節目から始まるエピソードCでは短調に戻り、伴奏の低音部を断続的に響かせながらやや重苦しい雰囲気でベートーベンの苦痛やいらだちといったものを描き出しています(個人の感想です)。
これらBとCのエピソードをサンドイッチのようにはさみ込みながら、主題部Aが繰り返されていき、ベートーベンのテレーゼへの激しく揺れる恋心、断つに断ち切れない想いを聞く人に訴えてきます。
 
このように見ていくと、この曲がベートーベンの想いを込めた「エリーゼ/テレーゼへ」の切なくも激しいラブ・コールだったということが納得できるのではないのでしょうか? 
この意中の人テレーゼ・マルファッティは、ベートーベンのプロポーズを断って、オーストリアの貴族と結婚しました。ベートーベンの恋は実らなかったのです。彼は一生独身のまま、1827年その生涯を閉じます。
 
ここまで呼んでくださった読者の皆様、ありがとうございました。
ベートーベンがスコアに残した「書き込み」を読みながらこの曲を聴いていると、曲に込めたベートーベンの「エリーゼ/テレーゼへの想い」が熱く蘇ってくるのではないでしょうか。
(愛しいテレーゼへ、君への想いが詰まったこの曲を君にプレゼントするよ)ベートーベンの「愛してる、愛してる」という声が、二百十数年の時を超えて聞こえてくるような気がします。
秋の夜長に今一度、この素敵なべートーベンのラブ・コールを聴いてみませんか?
 
上記の原稿を書くに当たって、引用または参考とした文献を改めて以下に挙げます。
1.Ludwig Nohl     ・ (編) ’Neue Briefe Beethovens’ (1867) p. 28

2.Max Unger     ・‘Beethoven and Therese von Malfatti’ The Musical Quarterly, Jan., 1925, Vol.11, No.1
 
3.Klaus Martin Kopitz   ・Beethoven’s ‘Elise’ Elizabeth Röckel: a forgotten love story and a famous piano piece, THE MUSICAL TIMES, Winter2020]
 
4.Rita Steblin     ・"Who was Beethoven's 'Elise'? A new solution to the mystery." In: The Musical Times 155 (2014), pp. 3–39]
(この小論については、オンライン版が入手できなかったので、筆者は目を通していません。)
 
5.Michael Lorenz   ・‘Maria Eva Hummel. A Postscript’ Own Blog Jul 8, 2013
・‘A Letter to the Editor of The Musical Times’ Own blog Nov. 1, 2014
・‘Die “Enttarnte Elise”. Elizabeth Röckels kurze Karriere als Beethovens “Elise” ’ The Wayback Machine April 29, 2017 (abstract)

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